朔夜のうさぎは夢を見る

夢追い人の見る夢は

 ある意味、問答の終了を待ちかまえるという側面もあったのだろう。九郎の肩からリズヴァーンの手が離れるのと時を同じくして、朝日の許に全員が顔を揃える。
「神子様方、ゆうべはお休みになれましたか?」
 ひざまずいたままでは埒が明かないと促した九郎に応えて膝を伸ばした青年は、黒白の龍の神子にまずそう問いかけた。だが、問いに対する答えは得られない。代わりに与えられたのは、問答に先立ってその表情の一切を隠していた布地を取り去った相貌へ突き刺さる、驚愕の眼差し。
 視線は、青年と、また別のある一点とを何度か往復して、それからもう一度青年へと据えられる。速度やら回数やらに多少の違いはみられるものの、その反応は二人の神子に限らない。
「えーっと、」
 そして、それでも青年の視点は揺らがないし、表情は崩れない。まして、見比べられたもう一方の青年はまったくもっての無関心しか示さない。筋違いの勘違いをしているような気分が滲みはじめた空気によるいたたまれない沈黙を埋めるためか、己に何かを言い聞かせるためか。望美が紡いだなんとなしの声にはたりと睫毛を上下させ、不動の微笑で青年は恭しく腰を折る。
「奥州藤原氏が総領、藤原泰衡様にお仕えしております。銀と申します」
 一連の動作は流れるように淀みなく、口上と共に見る者の内をするりと通過していく。
「道中、特に神子様方には決してご無理をさせることのないようにと、主より強く命じられております。何事かございましたら、どうぞ我が身をお使いくださいませ」
 特に深い意味を持たない独り言に対する答えとしては過ぎるほどに立派な物言いであったが、その勢いにのまれることで何かを振り切ったのか、望美はもう一度「えっと」と呟いてから口を開きなおす。


 今度はその独り言に対して勝手な解釈による答を紡ぐつもりはないのだろう。望美よりも視点が高い位置にあるという事実さえ霞んでしまいそうなほど低姿勢な空気を纏い、銀はひたすらに沈黙を保っている。
「私のこと、知っているの?」
「はい」
「朔のことも?」
「はい、存じ上げております。黒龍の神子様にございますね」
 問えば間断なく答えが返され、向けられる視線の方向も正確。ならば確かに銀は望美のことも朔のことも知っているのだろう。それに、昨夜はあの暗がりの中で、九郎と弁慶のことを過たず見分けていた。
「私達のこと、知っているの?」
「正しくは、お名前とお噂を存じ上げているにすぎないのですが」
 念を押すように問いを重ねられ、銀はわずかに小首をかしげる。
「神子様方は装いがだいぶ違われますので、そこからお察しいたしました。九郎様と弁慶様については、泰衡様よりあらかじめ人相をお聞きしております」
 鬼の方は髪色にて察しがつきますし、地に足をつけずに在れるのは神なる身だけにございましょう。


 滔々と紡がれた言葉には淀みがなく、迷いもなければ疑いもなかった。確かに、こうしてひとつひとつ根拠を挙げられれば、指摘はもっともでありわかりやすい特徴を各人が纏っている。
「他の皆様方に関しましては存じ上げてはおりませんが、九郎様と共に参られるということさえ確かにございますれば、私はひらにお仕えするのみと心得ております」
 言って深々と頭を下げた銀は、すっかり困惑しきった望美に代わって「顔を上げてくれ」と告げる九郎の言葉に素直に従う。
「奥州まで案内をとのことだが、どんな道を行くつもりだ?」
 そのまま単刀直入に本題へと切り込んだ九郎の声は、望美達が軍議などの場においてよく耳にしていた、実に静かな響きと緊張を湛えていた。背筋を正して向き合えばわずかに上になる淡紫の双眸をひたと見据え、返される言葉を待つ横顔はいっそ冷徹。
 信じると決めつつも、身元を完全に証すことはできていない。よって、銀という存在への疑念を払拭しきれないのだろう。その根拠はさて、弁慶の懸念と同じものか、それとも素顔を見た瞬間につい視線を巡らせてしまった素直な驚愕に端を発するものか。九郎自身にもわかっていないし、口を噤んでやりとりを見守る面々になどわかろうはずもない。
「まずは伊勢へと回り、倶利伽羅に抜けてから北陸道に入る道をご案内いたします」
 差し向けられる疑惑を感じているのかいないのか、銀の声は変わらない。
「神子様方に山越えの続く道程はお辛いやもしれませんが、南から奥州へ回る街道筋は鎌倉方に抑えられておりましょう。北に抜けるのが得策であろうと、泰衡様より申しつかっております」


 あえて伏せられていた泰衡からの書状の内容と、銀の言葉に矛盾は存在しなかった。その事実を確認した瞬間、漂っていた緊張がほんのわずかに安堵の気配を滲ませ、けれどすぐさま提案内容の検証へと移ろう。
「なるほど、確かにその方が安全でしょうね」
 目を伏せて黙考している九郎を促すように、まず頷いたのは弁慶だ。それから、納得した様子で将臣も追随する。
「兵を出すにしても、山脈越えてまで、ってのは割にあわねぇからな」
 頼朝の拠点はあくまで鎌倉である。これまでの平家との戦役において西へ兵をやることはあっても、北はほぼ手つかずであるはず。情報の伝達にしろ、兵糧の運搬やら地盤固めにしろ、一から整えているのでは時間も手間もかかりすぎる。
 そして将臣はどこか硬い表情で押し黙っている弟と幼馴染をちらと流し見て、脳裏をよぎった可能性を胸の奥底に沈めておく。日本史の知識をそれなり以上に持っている譲はきっと勘付いている。望美自身は日本史が苦手だったはずだが、もともと知っているか否かは別として、既に譲から聞き知っているのかもしれない。
 無論、将臣が口に出した事情こそがもちろんは最大要因であろうが、“歴史の先”が、もうひとつの要因を冷ややかに囁いている。すなわち、頼朝にとっての西の敵対勢力である平家を片づけた今、仮にも同盟関係にある熊野はさておき、早々に潰すべきは北の不穏分子。そつなく抜かりなく、言いがかりをつける隙さえなければ媚を売る気配もない黄金の国に攻め入る口実作りのための、伏線ではないのかと。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。