夢追い人の見る夢は
「お前に守られたおかげで生き抜けた。お前が軍に入れてくれて、生活を保障してくれて、譲には弓の師匠まで手配して」
間近にしゃがみこむ九郎に触れないよう細心の注意を払って膝を折り、なるべく視点を近づけて将臣はぽつぽつと告解を続けた。
「本当なら、俺がやらなきゃいけなかったことだ。お前はあいつらとは宇治川でばったり出くわしただけの赤の他人で、俺は譲の兄貴で、望美とだって生まれてからの付き合いだ。お前と同じように、とまでは言わねぇけどな。それなりの権力は持たせてもらってたんだから、俺がやらなきゃいけなかった」
そうして己の負う責務を過たず果たしている姿こそを間近に見ながら、総領として、将としての在り方を叩きこまれた。責任を果たすことの重さを知り、その重責に苦悩しながらこそ生き抜いてきたのに。
「そういうのを全部放棄して、大丈夫そうだって勝手にお前を信じて、お前に全部任せて。お前こそ、投げ出したってよかったのに、俺が思った以上に譲も望美も大事にしてくれてた」
それは、と。小さく小さく、いまだ掠れたままの声が呻くのが聞こえたが、将臣は九郎に発言権を許さない。
「なあ、その上、どうしてお前を責められるんだ?」
そんな筋違いの自責の言葉、自分には聞く権利がないと、そう思っている。
遮られた言葉をそのまま飲み込んだらしい九郎を確認し、それから将臣はゆっくりひとつ深呼吸をした。
「確かに、平家の一員として戦ってたんだ。源氏の総大将であるお前に、恨みがないとは言わない」
決して声が色など持たないように。無色透明になるように。感情が激しやすいと自覚もあるし、それらが表層に滲みやすいことも知っているからにはなかなか難しかったが、努力は決して単なる無駄骨ではなかっただろう。思い描く一番身近なあの声には遠く届かないものの、言葉にしたことでどうしたってざわめいた内心は、きちんと封じ込められていると思う。
「けど、それはお前だって同じだろ?」
互いに、決して浅からぬ傷であり遠からぬ過去だ。振り返り、どこかしらで妥協なり糾弾なりの線引きをするべきであった。今こうして口にしていることこそは、知盛が将臣に念押しをした九郎からの妥協を取りつけること、の裏にあったろう配慮だと察している。
突きつけ合うことを避けたままではいずれ破綻するしかない。あまりにも危険で際どい、将臣と九郎の間に横たわる対称性の象徴。
悩んで、けれど結局、将臣は言葉を飾ったり濁したり、そんな器用なことはできずに口を開きなおす。
「それに、これは傲慢なんだろうけどな」
前置きを挟んだのは、躊躇いと、それこそ傲慢ながらも申し訳なさを殺せなかったから。
「平家は戦に負けた。けど、俺自身は何か大切な勝負に負けずにすんだ。そう感じてる」
降り注いだ言葉に、九郎の肩が跳ねて、沈む。
「守りたかった人達は、今頃きっと南の島だ。無事に辿り着けたかはわかんねぇけど、あの戦場で討ち取られたって噂は結局聞かずにすんだ。見殺しにするつもりで囮になってもらった知盛も、生きてる」
そりゃ、一緒に戦ってくれた兵は、ほとんど死んじまったけどな。それでも、生きてるやつもいるんだ。生き抜いて、俺のバカを叱って、たしなめて、次のことを考えてくれる仲間が残ってる。
口にしながら、将臣は改めて己の幸運を思う。本当に、どれほど美しい結末だったのだろう。きっとこれは、望んだうちの最上の結果に違いない。これを嘆くことなど、できようはずがない。
「すっげぇ失礼な言い方するけど、今の俺、絶対的にお前より恵まれてる。こんなについてついてつきまくってて、それはでも、たとえば熊野にこうして上陸できたのとかさ。お前のおかげでもあるって、わかってる」
「だから、俺は一緒に行くよ。譲も望美も、それぞれの意思でお前と一緒に行くことを決めた。だから、俺はあいつらの兄貴として、幼馴染として、八葉として今度こそ務めを果たす」
今度はさほど意識をしなかったのに、思った以上の透明な声で、思った以上に優しい響きで将臣は告げた。もちろん真摯さは忘れず、けれど重苦しい建前ばかりではない、やわらかな心も含んだ上での。
「それでな、できればお前に、少しでも恩を返したい」
弾かれたように持ち上げられたはしばみ色の視線が、あからさまな疑問と不審を訴える。それはそうだろう。恨みがあるとそう告げたばかりだというのに、恩を返したいと偽りのない声音で訴えるなど、矛盾にも程がある。けれど、すべて将臣の真情なのだ。
「たとえ平家が源氏に勝ったとしても、それで譲や望美が死んじまってたら、俺は自分が許せなかった。俺が、平家の連中のことを心配し続けていられたのも、一門のために戦っていられたのも、ある意味ではお前のおかげなんだよ、九郎」
それはこの上なく皮肉な現実だろう。敵将に守りたい相手の一部を預け、知らずよしみを結び、腹を割って語り合い、結局は憎しみと殺意を切っ先に篭めて刃を交わし。その根源に流れていたのが、相手に対する絶対的な信頼であったなどと。
「お前があいつらを守ってくれる。お前の許にいれば、あいつらは大丈夫。そう信じていられたから、俺は俺のやりたいことだけに専念できた」
悔しさか、悲しさか、怒りか恨みか。潤んだ双眸はどこまでも濁りなどなく、策謀になど無縁そうで、将臣はやりきれなくなる。傲慢と知りつつ、何を喪うこともなかった還内府は、源氏棟梁と総大将の不和を憐れに思う。なぜこの瞳を見て疑心を抱くのだろう。なぜこの瞳で、信を勝ち取ることが叶わなかったのだろう。
「そして、今もあいつらは生きていて、お前はあいつらが鎌倉に殺されないように、守ろうとしてくれてる」
戦場には真実があると、そう嗤って嘯いていたのは知盛だ。
極限に追い詰められて、そこで発揮されるもの、そこで発露するものにこそ偽りはない。そこにいる限り、あのつまらない疑心と虚偽への思索から自由でいられるのだと。ならば、自分は戦場にて知盛いわくの真実に触れたからこそ、こうも九郎を信じられるのだろうか。将臣にはそのからくりはわからないし、あえて突き詰める必要もないと思っている。
「これで義理を果たせないほど、俺はどうしようもない人間ではありたくない」
ただ、恩義を感じているということ。それをそのまま甘受し、放置するわけにはいかないと感じているということ。それが大切なのだ。
「もちろん、お前がどうしても嫌だっていうなら、無理に同行させてくれとは言えねぇけどな。俺個人が嫌なら、囮に使ってくれてもいい。これでも少しは太刀の腕には自信がある。使い勝手のいい雑兵と考えてくれてもいい」
気負わせないようなるべく気楽な調子で、けれど万が一にも冗談やからかいなどと捉えられないよう真摯さは忘れずに告げれば、九郎の双眸はますます歪む。
「俺は、俺のわがままと、俺の意思で、お前と一緒に行きたいと思ってるんだ」
泣きたいのに泣けず、言いたいこともあるだろうに言葉にならず。感情の海で溺れるばかりの内心がなぜか手に取るようにわかって、告げるべきすべてを告白し終えた将臣は、今度はただ黙って、返されるだろうすべてを待つ。
Fin.