朔夜のうさぎは夢を見る

答える言葉のない問いかけ

 薄く笑いを刷き、は冷ややかに言葉を重ねる。
「お言葉ですが、還内府殿。総大将としての初戦にて、あなたは兵のすべてを惹きつける、どれほどの勝算がおありです?」
「勝算って……」
「末端の兵はともかく、中堅の将達にいったいどこまで“還内府”の名が通用するか、考えたことはおありですか?」
 ついに黙り込んでしまった将臣にゆるりと笑いかけ、は張り詰めさせていた空気を解く。
「手駒を有効に使い、そして増やされませ。……わたしに関する噂こそ、今の還内府殿にとって、もっとも身近な手駒ではございませんか?」
 現れ方も突飛だったが、それ以上にあの新中納言が興味を示したという点こそが噂の要。平家の軍神とも謳われる彼が、気紛れかもしれないとはいえ、太刀筋を「美しい」と称えた存在。その発言がどれほどの信奉度を自身にもたらしたかを正しく把握するほどには、は“平知盛”という存在の真髄を理解している自負がある。
「そうでなくとも、わたしは必ず、あなたの背を守り抜きます」
「………アンタは、何をしたいんだ?」
 凛とした宣言にようやく絞り出された声は、不安と不審で満たされている。だが、は退かない。揺らがないし、譲らない。
「あなたを守りたいだけですよ」
 だって、ここの彼はあなたを守ってはくれなさそうだけど、あなたはやっぱり優しいから。だから、いつかの彼の願いを、わたしはあなたに重ねてしまう。
「あなたは、一門の進む道を照らす、眩き光なのですから」
 だからどうか、ほんのわずかにでも彼らに優しい未来へと導き、そして連れて行って。


 言葉の奥に潜む真意を見透かすかのように、じっと据えられていた藍色の双眸がふと伏せられた。苦悶と渇仰と覚悟を宿した横顔は、少年から青年への過渡期に特有の儚さとあいまって、まるで夢のよう。美しい人なのだと、かつて己が主に対して抱いたのとはまた別の感慨に浸りながら、は黙ってかなしき総領の言葉を待つ。
「アンタは、いったい何者なんだ?」
 それは、この世界に落とされてよりこちら、ことあるごとに投げかけられる問いかけ。今のには、答える言葉のない問いかけ。
「アンタは何を知っている? 一門にとって、アンタはどういう存在なんだ?」
 けれど、今は答えねばなるまい。答えてはならない言葉を飲み込み、それでもなお、この思いには一片の偽りもないのだと伝えるために。
「かつて、一門に縁ある方に拾われ、生きる目的を与えられました」
 袖の中に隠した指を、きつと握り締める。不敵な笑みを貼り付け、瞳の奥には蓋をする。透明な、奥底に隠した激情を隠すための、溶けることのない氷のような。
「それを知る方はいらっしゃいません。あの方の最期を、わたしはこの手で齎しました」
 あの、どこまでも突き抜けるような蒼穹の下で、彼は逝った。送ってくれと。この身に宿す蒼き焔で、覚めることのない眠りへと。次に目覚める時には、きっと二人、同じ世界で共に生きようと、そう微笑んで。
「ですが、あの方は誰よりも深く、強く、一門の方々の安寧に繋がる未来を切望していらしたから」
 あの世界で叶えられたのはひとつの形。そしてこの世界でもう一度生きよといわれるのなら、はそうではない形を願う。彼は”彼”ではないけれど、それでも、だってあの同じ瞳、同じ声、同じ背中を一瞬でも目に焼き付けてしまったらば、どうしたって願わざるを得ない。
 どうか、どうか生きて。どうか、幸せに。


「この身は鞘。なればこそ、守るべき刃を求めてしまうのです」
「……喪った刃を、もう一度、ってか?」
「同じき刃に出会えるのは、遠く、輪廻の果てでのことでしょうが」
 ほのかに微笑み、は続ける。
「今は必ずや、御身のためになりましょう。ゆえ、わたしを戦場に連れていってください」
 笑みは酷薄。声は深遠。さあ駆けろ、この身を沈めると決めた、あの、狂気の坩堝の中を。
「わたしが駆け抜けた戦場に敗走はありませんでした。常勝将軍としての矜持と経験を、利用せぬ手はないでしょう?」
 朗じられた言葉に息を呑み、けれどすぐさま深々と息を吐いて、将臣は小さく笑った。
「アンタ、とんでもないな」
「何とでも」
 こうして彼が屈託なく笑ってくれる空間を供していたかったのだろうあの彼の願いを、これで少しは叶えられているだろうか。交わす言葉は間違いなく本心なのに、思考の隅でどうしてもそんなことを思ってしまう自分に、は小さく、将臣に気取られないように自嘲の吐息を吐き出していた。

Fin.

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