答える言葉のない問いかけ
何でもすると、そう頼み込んだが身柄を預かることと引き換えに将臣から与えられた条件は、とある役回りをこなすことだった。
「還内府様、お渡りです」
「ありがとうございます。後はわたしが」
先導の女房の口上に軽く頷いてみせ、は淡々と人払いの指示を追加する。
「膳はすでに頼んでありますので、下がっていただいて結構です」
「かしこまりまして」
「何かございましたら、お呼び立てくださいませ」
女房達も手馴れたもので、嫌な顔ひとつ見せずにするすると部屋を去っていく。間を置かずにぺたぺたと板を踏む足音がやってきて、はするりと腰を折る。
「お戻りなさいませ」
「おう、ただいま」
ここまではかしこまった言葉を使うのがからの妥協案。この先は砕いた態度で接するのが、将臣からの妥協案。そうして成り立つ契約関係は、いわゆる恋仲と呼ばれるそれである。
がしがしと頭をかきながら腰を落とし、もともとかなり着崩されていた狩衣を豪快にはだけて大げさなため息をひとつ。
「つっかれたー」
「お勤め、お疲れ様でした」
「胡蝶さんも、今日も一日お疲れさん」
屈託なく返されたいたわりの言葉ににこりと笑い、用立てられていた膳を調えては続ける。
「どうぞ、あまり冷めすぎないうちに」
「……それ、いいっつってんのに、律儀だよなぁ」
「役目ですから」
調えるとは、すなわちが先んじて一口ずつすべてを食べてみせることである。事前に毒見がはさまれていることは知っているが、用心するに越したことはない。将臣の存在がこれからの一門にとってどれほどの重みを持ってくるのかを、は誰よりも身に沁みてわかっているのだ。
交換条件のひとつでもある“一緒の食事”に箸をつけながら、向き合う将臣の表情や様子から、何とか時流を探ろうと試みるのが、最近のの日課である。
先般の戦が水島の戦いであることはわかった。あの頃、自分は範頼の配下として主に関東での小競り合いにばかり参加していたため、委細は知らない。ただ、日蝕をうまく利用した戦法により、平家の保持する人ならぬ力が必要以上の効力をもって源氏方に知らしめられたことを知っている。
それはそのとおり、恐ろしかろう。にとって、日蝕はいっそ希少価値の高い天体現象の一つでしかないが、この時代においては神が闇に喰われるという禍事。宮中に出入りしていた頃の記憶を用いて戦の日時をあわせたらしいが、それを知る由もない源氏の面々にとって、嫌というほど恐怖を駆り立てられる時間だったことは想像に難くない。
「今度、大将戦に出ることになったんだ」
ぼんやりとそんな考えことをしている中、ふと耳に飛び込んできたのはとんでもなく重要な一言だった。
「この戦で、瀬戸内海での平家の絶対優位を完璧なものにする」
自分自身に言い聞かせるように、低く紡がれる声はひどく張り詰めている。
還内府が総大将として初めて指揮を執った戦いは、室山での一戦だったはず。時期も、相手もの記憶とぴたりと一致する。なればこそ、ここはやはり似て異なる世界。誰も自分のことを知らない、歴史の潮にはなんら変化のないあの世界の似姿。
「その戦、わたしもお連れくださいませ」
「は? あ、いや。胡蝶さん、いきなり何を――」
「兵の一人としてお連れくださいと、そう申し上げました」
意味が理解できないという表情を浮かべた将臣の言葉を遮り、は強い語調で言い募る。
「報告は受けておいででしょう? 腕をお疑いならば、手合わせでも何でも、ご納得いただける方法をとらせていただきます」
「……舞の練習をしてるって話は聞いてるけど」
「見るものが見れば、お分かりになるはず。あれは女舞ではなく、剣舞です」
暇と境遇にあかせて腕を落とすつもりは微塵もない。監視がつくとて女房が主である状況を逆手に取り、基礎鍛錬は欠かさず続けていたのだ。
Fin.
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