朔夜のうさぎは夢を見る

答える言葉のない問いかけ

 どうやらが知らなかっただけで、戦場に出してはいかがかという話は既出のものであったらしい。時間の猶予からしてろくな防具は与えられないだろうと覚悟していたのに、目前に揃えられたのは実に美しい藍色の一式。しかも、の体格を考慮した一品である。
「これは、いかがなさったのです?」
「あー、実はな。胡蝶さんのこと、戦場に引っ張り出したいって言って聞かねぇバカがいて」
「……よもや、新中納言様が?」
「正解」
 の関知せぬところでひと悶着あったのだろう。疲れきったように深々とため息を吐き出し、将臣はついで袱紗に包まれた細長い物体を床に滑らせた。
「あと、これ。返すぜ」
 受け取り、布を取り払った先から出てきたのは見慣れた朱塗りの鞘。鞘走りの音も涼しく、その中には曇りを知らぬ美しき刃が眠っている。
「知盛が散々欲しがってたぜ。相当な逸品だってな?」
「さて。刀の由縁は存じ上げませんので」
「結局、秘密主義は変わらねぇんだな」
 手馴れた様子で刃の様子を確認するをじっと観察しながら、将臣は小さく肩をすくめる。


 気負った様子など見受けられない、それは実に気軽な所作だった。彼はどこにあっても変わらない。変わらず強く、美しく、そして誰よりも真っ直ぐだ。
「いいぜ。アンタが俺と同じ目的を持っているってことはわかった。今は、それで十分だ」
「目的が違われることはありえませんので、どうぞご安心を」
 刃を鞘のうちに眠らせて、は視線を持ち上げる。
「わたしの贖罪でもありますから」
「アンタにそんな目をさせるのは、いったい誰なんだろうな」
 問いのような独白に、答えるつもりはない。答えられるわけもないし、答えたところで意味はないと知っている。瞳の奥と口の端に自嘲を滲ませたを一瞥。それから今度はそっと眉尻を下げて、淡く微笑んでそれ以上の言葉を飲み込んだ将臣が、ふと表情を引き締める。
「悪ぃけど、俺にとってこれは初陣以上によくわからねぇ戦だ。アンタを俺の陣には置けない」
「はい」
 切り出されたのは間近に迫った決戦の日におけるの処遇。将臣にとってのこの戦がどれほどの意味を持つかをわかっているからこそ、傍には置けないという、おそらくは軍議にて決されたのだろう判断に異を唱えるつもりはない。
「実力を疑うわけでもねぇけど、よくわかんねぇっつーのも事実だ。だから、知盛ンとこに預ける」
「はい」
 間髪置かずに肯定の言葉を返せた自分を、は内心で盛大に褒め称える。声が震えそうだった。息を呑みたかった。瞳を見開きたかった。けれど、そんな反応を見せるわけにはいかない。そんな感慨など、微塵もみせるわけにはいかないのだ。


 ぽつぽつと小耳に挟む噂を聞く限り、この世界においても、やはりかの新中納言は平家の軍神とも恃まれる存在であるらしい。やはりちらほらと噂を聞く限り、どうやらかつて自分の見知ったあの人よりもいっそう、何かに疲れ、投げやりになっているようにも見受けられるのだが。
「戦場に出ていた経験があるっつーんならわかってると思うけど、戦に女を連れていくってなると、大概のやつには不吉だの何だのって言われる」
「存じ上げております」
 だからこそ、はかつて己をなんとしても常勝の将として立てなくてはならなかった。その肩書きを勝ち取って初めて、戦場に在ることを認められる。そうでないなら、見込んでくれた存在にも、ついてきてくれる存在にも、半端ない悪影響を及ぼしてしまう。
「その点、知盛ンとこならうるさいことは言われにくい。あそこは実力主義が浸透しているし、知盛の言うことに逆らうやつはいねぇからな」
「新中納言様は、わたしを連れることを厭うてはおられないのですか?」
「嫌がってたら、こんなにぴったりの鎧を仕立てられるわけないっつーの」
 知っていた、けれども知らない事情の説明にあえて問いを差し返せば、淡く苦笑を浮かべて将臣が指を持ち上げる。そっと、二人の間に置かれた美しき藍色のそれをなぞる。
「相当気に入られたみたいだぜ? アイツがあんなに上機嫌なのは久々に見る」
 ああ、それはいつの日だったか。懐かしきあの母のような女房が語ってくれた言葉にも似たる告白。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。