朔夜のうさぎは夢を見る

未来を愁う

 今回の三草山への参陣の希望は、直前にやはり人知れず臥せっていたことから、福原警護という名の不参加命令にて退けられている。実際の血筋よりも何よりも“還内府”という存在こそが重みを持つ今の平家一門にあって、知盛は己の地位と権力をいたずらにかざすような真似はしない。からかい混じりに、嘲笑混じりに「兄上」と呼びかけながら、将臣の采配をどこか高みから見物して、その駒として動くことをこそ愉しんでいる。
 知盛が出ずとも自分は出ようかと申し出ただったが、どうか世話を焼いていてくれと将臣と重衡の両名からじきじきに頼み込まれて、こうして共に留守居と相成っている。共犯者となるからには少しでも彼にとって有意な存在であろうと、持てる限りの薬師としての知識を駆使していたこともまた、こうして依頼を受ける一因となったのだろう。
 無論、それはまったく嫌ではない。だって、同じで違う彼に、は”彼”には決して抱くことのできなかった願いを重ねてしまっている自分を知っている。あなたは生きている。生きているからには、生き延びてほしい。そのためには、戦場ではもちろんのこと、病になどその命数を削られてほしくないのだ。


 物騒な言葉を交わしながら夜闇の静けさの中に沈み、きっと、この病もまたひとつのきっかけとしてこうもすべてに厭いた様子をみせる知盛の傍で、は過去を悼み、未来を愁う。
 彼は“彼”ではない。似て非なると、その言葉こそがまさに真実。あまりにもよく似ていて、決定的に違うとしか感じられない二人。けれど、違うのに同じなのだ。それを直感してしまったあの日の昼下がりから、は自身の感情が混沌の深淵に徐々に沈んでいくのを自覚していた。危惧したとおり、傍にいれば思いが流れる。違うと思い、それでも愛しいと感じる。
 気が狂いそうなほどの葛藤だった。この感情は勘違いによるものだと己に言い聞かせ、果たしてそれは本当なのかと自問する。違うけれども彼は結局“平知盛”という人物。の愛したあの“彼”とまったく同じ責を負い、同じようにして未来を見透かし、あの“彼”よりも深い諦念に染まっている。殻を被らねばならぬ己に加えて、先の見えぬ病身に苛立っている。ならば、が彼を愛しく思わない理由は何だというのか。


 つと巡らされた双眸が、物思いに沈んでいたの意識を引き上げる。無言でいながら、あまりにも雄弁にすべてを物語る深紫の視線。それは、言葉の奥に潜む彼が掴んだだろう真理を髣髴とさせる。
「次は、どう動くと思う?」
 “彼”の時にも感じていたこの疑問が解消されることは結局なかったけれど、彼もまた、いったい何を見詰めているのだろう。何を見透かし、何を直感しているのだろう。どうしてこうも、知るはずのない未来を正確に、その手の内に探り当ててしまうのだろう。
「どちらが勝つにしても、このままでは終わるまい。……お前は、この先をどう読む?」
 物騒で獰猛で、その危険な光こそがいっそ艶やかな深紫の双眸に、は思う。彼は、この先に和議という道など微塵も見出してはいない。次はどう動くかと、それは先までの会話の続きだ。すなわち、次の機会とはいずこにあって、いかな形で九郎義経と相対することになると思うか、と。
「……硬直した戦況を崩すには、奇策か、あるいはいずこかの助力を得ることかと」
「では、得るべき助力とは?」
 問われるまでもない。そして、考えるまでもない。どうしようもないことだ。だっては知っている。この先の歴史の流れを知っていて、たとえ自分の願いが叶うように動くのだとしても、今回の戦果を受けての両家の行動は変わらないだろうと確信している。
「熊野水軍にほかなりますまい」
 最強の呼び声高い、誇り高き水軍衆。だが、彼らを味方につけることが果たして可能だろうか。かの水軍を指揮する立場にある熊野別当は、源氏の神子を守護する八葉が一葉であるというのに。


 かくしての読んだとおり、三草山にて痛み分けで引き上げてきた還内府が次に口にしたのは、かの霊地の名前だった。
「疲れたー!」
「お疲れ様にございました」
 一人で行ってくるから後はよろしくと、あまりにも突飛に過ぎることを言い出したがための大騒ぎについてはあえて伏せておこう。重要なのはそこではない。その騒ぎを受け、けれど微塵も譲るつもりのない還内府に、なぜか折れたのが知盛だったという点だ。
 自分が護衛につく。ついでに夜叉姫を伴う。それならばよかろう、と。還内府以上の強引さと周囲の意見には耳を貸さないという頑なな態度で押し通した代案は、意外や抵抗も少なく受け入れられた。政務の代替ならば、今は年老いてしまった一門の重鎮達にも叶う。たとえそれが彼らにとって不満な方針であろうとも、呑んでそのとおりにやりおおせるだけの実力はある。だが、護衛ともなれば話が違う。確実な護衛となり、機転も聞き、還内府の手綱を握れるというあまりに多くの条件を満たす存在は、知盛しか残されていなかったのだ。
 福原から京を抜けるあたりまでは馬を走らせたが、熊野路に入ってしまえば騎乗していると悪目立ちする。馬の世話用にと随伴の郎党を幾名か残し、いざいかにも厳しき山道へと足を踏み入れた初日の夜の第一声が、先の将臣の悲鳴にも似た一言である。

Fin.

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