朔夜のうさぎは夢を見る

夢の向こうの記憶

 肉体疲労のみならまだしも、深い深い精神疲労が重なった一種の虚脱状態に誰もが無口になる中、望美はひたすらに泣いていた。拭っても拭っても涙は止まらず、嗄れた声でしゃくりあげながら。
 ずっと、ずっとずっと、泣いていた。


 有川邸に戻り、傷の手当てをして。それでもずっと泣いている望美は、弁慶の「今日はもう休んだ方がいいですね」という言葉にゆるく首を振った。
「ありがとうございます。でも、ごめんなさい」
 言いながらもやはり涙は止まらず、声はすっかりしゃがれてしまってがらがらだ。
「先に、休んでください」
 気遣わしげに巡らされた視線が一点で止まり、戸惑うように揺れる。そのまま俯けられた緑碧の視線には、後悔と罪悪感が滲んでいる。
「私はもう少し、ここにいます」
 ソファの隅で丸まる望美に浅く息を吐いたのは、誰だったのだろう。けれど、誰も立ち上がらない。責める気配など、浮かばない。
「この“思い”の蓄積が、君が払い続けた代償なんですね」
 代わりに落とされたひたすらの感慨に濡れた弁慶の声に、望美はそれこそ嗄れ果てた声で、「ごめんなさい」と小さく呻いた。


 忘れたくなかった。忘れるつもりはなかった。忘れないように必死だった。
 もちろん、忘れてしまいたい忌まわしい記憶も山のようにある。そもそも、望美がこうして時空を渡り歩くことになった最初のきっかけは“平知盛”にある。
 あの、炎に呑まれた京の町が知盛の仕業かどうだったかは、そういえば定かではない。それでも、望美にとって最初の憎悪の対象は知盛であった。平家を打ち倒すという九郎達の掲げる目的は、望美の中では“平知盛”という存在に象徴されていた。
 けれど、だからといってすべての責任を知盛になすりつけてはいけないのだということを、皮肉にも望美は時空を渡り歩くうちに当の知盛によって思い知らされたのだ。
 望美がすべてを喪ったのがあのはじまりの時空であるのなら、知盛がすべてを喪うのはそれ以降のすべての時空であった。だというのに、それを知盛は恨もうとしない。詰りもしないし、それゆえにと憎しみを抱きもしない。誰よりもはきと終焉を見据えて、予感して、あえて終焉へと飛び込む皮肉な微笑に滲んでいるのは、いつだって正々堂々とした割り切りだ。
 これが現実。これが宿業。だから目を逸らさず、逃げもせず詰りもせず憎みもせず。すべてを受け入れて、すべてを肯定して、まっとうする。


 平家が様々なものを望美達源氏から奪うのと同じように、源氏もまた知盛達平家から様々なものを奪っている。それを思い知ったのは、憎き宿敵を波の下へと追いやっても気持ちが晴れず、あまつさえ八葉の命がその先で損なわれるという“不本意”な結末ゆえに、今度こそと願って時空を超えた先でのこと。弁慶の冷徹な、策士として実に優秀な計略によって焼け落ちていく海上の平家の船を見た時のことだった。
 それでも“正解”には辿り着けなくて、次に渡った先では“還内府”の慟哭を聞いた。望美が仲間を守りたいと願うように、九郎にも弁慶にも景時にも、そしてもちろん“還内府”にも、守りたい相手がいる。その思いが紅の蝶に向いていようが白の竜胆に向いていようが、本質は何が違うのか。
 間違ってはやり直し、似て非なる世界を渡り歩く。今度こそ、今度こそ最後にしてみせるから。それは覚悟の言葉で、言い訳でもあった。だって、ある時ふと思い至ってしまったのだ。
 自分は、最初の時空がこれまで過ごしたどの時空であったとしても、白龍の逆鱗を手にしていれば間違いなくその力に縋っていた。時空を渡り歩くきっかけは、知盛の存在ではない。それは、自分の願う終わり方以外を認められない、自分の意地であり弱さなのだと。


 胸のどこかで後ろめたさを抱えながら、それでも今度こそ、これで最後だろうと思ったからこそ踏み越えられた。時に憎しみをぶつけながら、すべての元凶だと呪いさえしながら対峙した平家の棟梁に背を押されて、罪を罪と認めて、先に進めると思った。
 けれど、わかっていなかった。考えたこともなかった。
 世界の成り立ちになど、思いを馳せたことはなかった。
 だから、知らなかった。
 “自分”の辿りえた可能性が、時にどれほどの残酷さを誰かに突きつけているのかということを。わかっていて、把握しきれていなかったのだ。


 見つめる視線が労わりに満ちていることは感じていたが、それこそがいたたまれなくて望美はますます体を小さく丸める。膝を抱えて縮こまり、膝に額を押しつけて、くぐもる声を絞り出す。
「ごめんなさい」
 運命の上書きという行為を軽んじたつもりは微塵もない。これは本当だ。ただ、その重みをわかっていなかったことを思い知らされて、望美は改めてこの数多の時空跳躍による記憶を悼み、慈しもうと思い定めた。
 選んだのも、切り捨てたのも己だ。
 だから、他ならぬ自分こそは、すべてを背負い、すべてを抱える責任があると思った。それで許されるとも思えなかったが、せめてそのくらいはしないと、切り捨てたすべての世界に対してあまりにも申し訳なさすぎた。
 なのに、その独りよがりな贖罪の真似事に、自分を詰り、恨む権利を持つ人々を巻き込む結果になっている。
 あまりにも情けない。なんという無様さ。そして何より罪深い。
 この記憶を共に抱えてもらえることへの安堵を覚えた、己の身勝手さよ。

Fin.

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