ひとつのはじまりの記憶
何が起きたかを知っているのは、きっと当事者だけだろう。忌々しげな“望美”の声が「馬鹿なッ!?」と叫ぶ。その叫びを掻き消すようにガラスの砕ける音が響いて、続いたのは刃の交わる硬質な音。
「……みんなのせいなんかじゃ、ない」
ぎちぎちと鳴る鍔迫り合いに乗って、振り絞るように掠れてしまった悲痛な声が告げる。
「全部、私が選んだこと。私が決断して、私が切り捨てたこと」
言葉は言霊。力を持つモノが紡ぐ音には、ただそれだけで力が載る。意思を篭めた言葉は、すべて呪言となる。その理は、この国に古より息づく原初の奇跡。現代においてはとっくに失われてしまったかに思えたそれを、望美はいともたやすく再現してみせる。
「あなたになんか渡さない! 好きにはさせない! 壊させたりしない!!」
言葉が重ねられるごとに、望美の足元から神気の渦が天へと奔る。光を纏って溢れる風に触れた怨霊が、次から次へと霧散していく。
「そうじゃないと、全部、嘘になる……ッ!!」
両目からボロボロと涙をこぼす望美と刃を合わせていた“望美”は、いっそ悲壮なその叫びを嘲る声をこぼし、一息に刀を振りぬいた。
悪意に満ちた嗤笑を浮かべるのは、同じ顔。剣の腕も鏡写し。舞うような剣技が交わされるのは、きっと状況が違えば惚れぼれと見蕩れることができる一種の芸術でさえあったのに。
すべてが鏡映しなのだから、当然のように勝負は拮抗していた。その上でなお勝敗を分ける要素があったなら、それは正しく思いの深さなのだろうとは思う。
負けない。負けるわけにはいかない。
それは意地であり誇りであり、きっと彼女が何よりも守らなければならなかった誠意だ。
望美は敗北を許されなかった。いや、赦されなかった。それは、涙に濡れながら必死に戦う彼女の叫びこそが示している。
「わかってるよ! 私が何をしたかなんて、私が一番わかってる!」
誰に向かって言っているのかはわからない。けれど、望美は叫ぶことで見えざる何かとも戦っており、あの禍々しき神の支配を跳ね除けた。それだけは確かな事実であり現実。
「だから私は捨てられない!! 私だけは、世界が終わるまでだって、どんなに醜くてもしがみついてなきゃいけないのッ!!」
「わたくしも、好きにさせていただくだけよ?」
同じ声の異なる口調で、にたりと笑って神が身を翻す。一対多数に持ち込めないのは、数を減らしたとはいえいまだ少なくもない怨霊が邪魔をするからだけではない。きっと、誰もが理解している。これは二人の戦いであり、望美自身の内面の葛藤を透かし見ている側面もあるのだと。
八葉達と同様に怨霊を相手に小太刀を振るいながらちらちらと視線を流し、はコトの行く末に思いを馳せる。
彼女が負けたところで、世界はきっとつつがなく回るだろう。この世の中は、そうやってできている。そうやって機能していて、そうやって重なっていく。
だが、それだけでは終わらない予感がずっと胸に巣食っている。
彼女は勝たねばならない。神にではなく、彼女自身の抱える何かに。
そうと知ってか知らずかはわからない。ただ、髪を振り乱し、涙と汗と血にまみれ、ボロボロになって望美は必死に立ち向かう。敵は己が内に。その教えこそは、剣の道。
ようやく怨霊による囲みを潜り抜けた八葉が望美の周りに加われば、決着はあっという間だった。悔しそうに顔を歪めながらも吹き飛ばされた“望美”に、白龍の神子は迷いなく言霊を叩きつける。
「巡れ、天の声! 響け、地の声!」
一方のは、体力の限界を超える動きに耐えかねて声さえ発せずに肩を大きく上下させながら、すべての終焉をただ見守っていた。かろうじて地面に座り込まずにいられるのは、知盛が黙って支えてくれているからだ。
寄りかかってしまっている体とは別に、懐かしい気配がそっとの肩に触れた。触れた先から流れ込むあたたかな波動に、魂の底でまどろんでいた蒼焔が目を覚ます。
――……手を貸すなど、不本意ではあるが。
捻くれた人。そうやってなんだかんだと言い訳をして、手出しをするなら結局は同じだと、わかっていないはずがないのに。
――これも、天命とやらなのだろうな。
神子の言霊によって炸裂する純白の神気に、蒼き意思を載せる。
「かのものを、封ぜよ!!」
神をも弑す純然たる殺戮の権化。氷よりもなお冷たいその熱で、灰の一片さえ許さないその意思を。
Fin.