朔夜のうさぎは夢を見る

分岐さえない螺旋の記憶

 随分と長い時間をかけて外から帰ってきたと将臣は、結局誰にも教会で遭遇した不可思議な夢の話をしなかった。ただし、持ち帰ることとなった小太刀について何も触れないわけにはいかない。
 面子が欠けているということと時間が遅いことを理由に翌朝に持ち越したのだが、きっとどことないぎこちなさは隠し切れていなかっただろうとは思う。それでも、語るわけにはいかないと感じていた。たとえ誰に求められたとしても、語れるわけがなかった。
 思いを言葉では表しつくせない。言葉を形にして差し出すこともできない。どうしたって心の在り方を完全に示すことなど不可能で、だからは躊躇った。陳腐な言葉に置き換えることで、万が一にも穢してはならない。触れることの許されたアレは、一種の祈りの姿だったと感じている。
 もっとも、何かしらの動きがあったのは残っていた面々も同様であったと推測するのは、難しいことでもなかった。思いに沈み、何かに張り詰めてぴりぴりしている様子には嫌でも気付かされる。同時に、起爆剤が恐らくは知盛だったのだろうという予感にも。


 いい加減お開きにしようと言い出したのは譲だった。何かを振り切るように、いっそ自棄になった様子で知盛と杯を重ね続けていた将臣がさすがに前後不覚になったのも、その頃だった。
「兄さんはその辺に転がしといてください。毛布をかけておけば、風邪も引かないでしょうし」
 血縁者ゆえの遠慮のなさか、すっぱりと言い置いた譲に、淡く苦笑を滲ませて腰を上げたのはリズヴァーン。
「いや、私が運ぼう」
「先生! でしたら俺が」
「九郎、君もだいぶ酔いが回っているでしょう? お任せする方がいいと思いますよ」
 つられるようにして次々に腰を上げてしまえば、おおまかな片付けなどすぐに終わらせられる。本格的な片付けは翌朝にすることにして、割り当てられた寝室に引き上げる中で、なぜかは敦盛に呼び止められた。
「あの、あなたの寝具なのだが」
 そういえば、直接言葉を交わすのは初めてのこと。間近で見れば見るほど、何とも美しい顔立ちの少年だと場違いなことに感心する一方で、妙な緊張は受け流すことにする。何を思うよりも、ただ微笑ましいという感慨がじわりと胸を満たすのだ。


 向き合いはするが視線が合わず、うろうろとさまよう瞳はを待つ知盛をあからさまに気にしている。
「別に、獲って食べたりはしないわよ?」
「あ、いや。すまない。そういうつもりはなかったのだが……」
 気持ちをほぐせれば、と思っての言葉には、想像以上の生真面目な反応が返された。計算外の事態に、どうしようもなく穏やかな苦笑が零れてしまう。
「ごめんなさい。冗談よ」
 で、どうしたの。そう改めて問うたところでようやく、敦盛は気を取り直した様子で口を開きなおした。
「その、あなたの寝所に、神子を運んでしまっていて」
「そうなの?」
 まあ、仕方のないことだろうとすぐに納得のいく顛末だった。アルコールに手出しをしてはいないようだったが、もうだいぶ遅い時間だし、随分とはしゃいでいる様子だった。休ませる先として、朔とセットの扱いを受けるのは当然だろう。
「譲に頼んで、新しく寝具を用立ててもらっている。埋め合わせにはならないだろうが、運ばせていただくので、少し待っていてほしい」
 そんなに謙遜したり気を遣ったりしてもらわなくても大丈夫なのにと。思いながらも気遣いはありがたく受け取ることにして、礼を紡ごうとしたが声を発するよりも早く、知盛が口を挟む。


「いらない」
「え?」
「ちょっと」
 うろたえるように表情を歪めてしまった敦盛に深い罪悪感を覚え、慌てて呼びかけたを無視して、知盛はけろりと言葉を続ける。
「寝ている横でばたばたやって、起こしてしまっては悪いだろう? その新しい布団ごと、俺のところで引き取る」
「え!?」
 今度は声さえ上げられなかったのか、大きく目を見開いた敦盛に対しては確かに申し訳なさを覚えているのだが、それ以上に意外さが大きかった。真意を問うように振り返れば、見慣れた無表情がちらとを見遣る。
「少し、話したいこともあるしな。気持ちだけ、ありがたく受け取っておく」
 悪いな。そう、実に気楽な調子で謝意を向けられ、複雑な色で歪みに歪んだ敦盛の表情が行き着いたのは、切なさと喜び。
「――いえ」
 わずかに視線を伏せて、今にも泣き出しそうなそれはそれは穏やかな微笑みを湛えて、敦盛は「どうぞ、良い夢を」と静かに答えた。

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Fin.

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