存在を許されなかった希求
朝っぱらから大騒ぎをしてパーティーの準備を始めることから、有川邸での一日は幕を開けた。調理要員として使えないとみなされた面々は街への視察であったり買い物であったりに回され、逆に調理要員として見込まれた面々は台所に立っている。とはいえ、それは譲と朔の二名のみであったのだが。
「すみません。お客さんにこんなことをさせてしまって」
「単なるゲストじゃないわよ。泊めてもらってるんだし、少しは手伝わないと」
さすがに少人数過ぎるだろうと見かねたというのがひとつ。何もせずにいる状態が落ち着かないというのがもうひとつ。自分も手を貸そうとが言い出したのは当然の流れであり、外に出るのは面倒だと言っていた知盛が加わったのもごく自然な流れであった。
掃除やら洗濯やらになぜかやたらと張り切って取り組んでいた景時が、進捗報告にキッチンを訪れて大げさに驚いていた様子は面白かったが、さて。まだこの光景を知らない面々は、どのような反応を示してくれるのか。
味付けの腕で敵わないことは昨夜のうちに思い知っている。餅は餅屋。何事も努力を惜しむつもりはないが、あからさまに自分よりも腕の立つ相手と無駄に張り合うつもりもない。下仕事におとなしく従事することにして、今のは食卓を間借りして唐揚げの下味作りだ。
「終わったぞ」
ぼそりと声があがり、目を上げた先ではの正面で大量のジャガイモの皮をむいていた知盛が、ボールに最後のひとつを置いていた。
「ありがとうございました」
譲には特にしがらみがないと言っていたヒノエは、ここまでを見越していたのだろうか。すっかり馴染んだ調子で向き合う姿の自然さは、どこかぎこちなさの抜けない朔と並べばこそ、余計に際立っている。
「それにしても、器用ですね」
実の山に対して、皮の山が見事なほどに小さい。むかれた皮を捨てようとボールを受け取った譲が感心したように、薄く、無駄なく処理されたそれらに息をつく。
「そうか? 一人暮らしが長くなれば、嫌でも身につくレベルだと思うが」
「……嫌味にしか聞こえないわ」
別段、さほど不器用なわけではないと自負しているのだが、包丁捌きで知盛に敵わないことをは知っている。一人暮らし歴が同じだとも知っていればこそ、思わず拗ねた声が出るのは仕方ない。
並んでジャガイモの山の入ったボールを調理台に運び、ついでに包丁を洗って知盛が声を笑わせる。
「食えればいい。お前だって、日常生活に不自由してないんだから、それでいいだろ?」
「まあね、それはそうなんだけど」
どうやらポテトサラダへと変貌を遂げるらしいジャガイモは譲の手に委ねられて、次に知盛が持って戻ってきたのはたまねぎの入ったボールとまな板。
「とりあえず、そっちが終わったらこっちを手伝え」
「残念でした。わたしのことは鶏肉が待っているのよ」
調理液を混ぜ終え、しょうがをすりおろしていた手を止めたは知盛と入れ替わりに腰を上げ、宣言どおり冷蔵庫からやはり大量の鶏肉を持って席へと戻る。手を洗いなおし、改めて袖をたくし上げてさて切り刻もうかと気合を入れなおしたところで、くすりと上がる笑声は左手から。
「朔さん?」
「どうかしたか?」
同じくポテトサラダ用か、その他の用途も含んでいるのか。こちらもまた大量のゆで卵を丁寧にむいていた朔が、口元をかわいらしく隠して「ごめんなさい」と囁くように告げる。
「その、お二人があまりにも仲がよろしくて」
ちょうどむき終えたところだったのだろう。傷ひとつなく、つるりと真っ白な卵を、ほっそりとした美しい指先がボールに運ぶ。そこでいったん手を止めて、ようやく持ち上げられた表情は、ただ静かに微笑んでいる。
「きっと、お気づきだったとは思うけれど。私にとって、特に知盛殿がこのような仕事に携わっていらっしゃるのは、本当に違和があって仕方がなかったの」
ため息のようにこぼれた言葉に、たまねぎの皮をむいていた知盛が手を止めてさらりと応じる。
「正三位にも上り詰めた権中納言がこんな下働きをするのは、まあ、ありえないことだろうな」
「ええ、そうね。それに、私の知っている“知盛”殿は、生きる素振りさえもはや脱ぎ去っておいでだったから」
悼むように、惜しむように、悔いるように。手遊びのようにまだむかれていない卵を取り上げて、朔は視線を向けてくる知盛から目を逸らす。
Fin.