朔夜のうさぎは夢を見る

触れられない未来の記憶

 荷物を取りに行くからと言って有川邸を後にする二人に付き添いを申し出たのは、ヒノエと九郎だった。夜道を共に歩きながら、はヒノエと、知盛は九郎とそれぞれに言葉を交わす。
 あの面々の中で、この二人はにとって比較的つきあいやすい部類の人間にあたる。透かし見える郷愁と、そして悔悟とが薄いからだろう。あるいは、割り切りが良いとでもいうべきか。
 何がどう馬が合ったのかはわからないが、知盛は九郎のことが気に入っているようだった。ゆるゆると紡がれる言葉のペースから機嫌が良いことを察し、は小さく含み笑う。
「どうしたんだい、姫君?」
「あの二人、仲が良いなぁと思って。“平知盛”って、“源義経”とは敵対関係だったのよね?」
 二歩ほど先を行く二人に聞こえないよう声を潜めて返したに、よくできましたとでも言うかのようにヒノエは穏やかに笑う。
「嬉しいね。オレ達のこと、知ってくれてるんだ?」
「あまり知らなかったんだけど、調べたわ。有名人ばかりだから」
 家系図の線が不可思議だったり、年齢が不一致だったりという違和はそこかしこに転がっていたが、大まかな歴史の流れは変わるまい。その不可思議の筆頭とも呼べるだろうこの青年は、そういえば源平両家と血縁が結ばれているのだったか。


 もっとも、そんな努力をせずとも先の疑問ぐらいには行きつくことができる。“平”と“源”が刃を交わしたかの時代の激動は、あまりにも有名な日本史の転換点だ。
「一応、和議の取り決めも交わしているしね。それに、九郎は幼い頃は清盛の息子として育てられたって聞いてるよ」
「じゃあ、親近感があるのかしら」
「さあね。もともと、九郎は裏表のないヤツだし」
 そして、わずかに言い淀んでからヒノエは付け足す。
「“知盛”との個人的なしがらみは、なかっただろうし」
 過去が絡まないからこそ何事もなく対峙できるのだろうと言外に匂わせて、小さく振り仰いできたヒノエは苦く笑った。
「将臣がああもすんなり了承するとはね。オレとしては、ちょっと意外だったよ」
「それはこっちのセリフよ。兄弟なのに、謙くんと将臣さんは、ずいぶんわたし達への感覚が違うみたいね」
「譲もやっぱり、“知盛”に個人的なしがらみはないだろうしな。噂や評判が染み付く暇もなかったと思うから」
 そっと瞳を細める横顔が優しくて、つい先日の公園での遣り取りをは思い出す。


 許してやってほしいと、ヒノエは言っていた。きっとそれは、将臣のこともだし、他の面々のこともだろうし、ヒノエ自身のことを示しているのだろうとも思った。だが、本当にそれだけだろうか。
「ごめんね」
「ん?」
「“わたし”で、ごめんね」
 重ねないでほしいと思うのは、自分が霞んでしまう気がしたからだ。その思いに変化はない。だが、同時にそれはとても身勝手なことのように思えて、は後ろめたさを拭いきれずにいる。
「ヒノエくんは許してほしいって言ってたけど、それはお互い様だと思うのよ」
「……なぜ?」
 穏やかに声を返されて、は静かに視線を伏せた。
「あなた達がわたし達に誰かの影を重ねるのは、確かに勝手だわ。求められても応えられないし、そんな目で見てほしくないって思う。でもね、そうして重ねることで傷ついているのは、きっとあなた達の方が大きい」
 見知った顔が、見知らぬ表情を浮かべるのはどんな気持ちなのだろう。耳慣れた声が、耳慣れた調子で名を紡いでくれないのは、どんな気持ちなのだろう。否定するのは間違っていないとヒノエは言っていた。それでもいいから救われたいのだと。なら、にはその思いを否定することはできない。彼らが救われたいと願うことを否定することはできず、影を重ねることをいたずらに批判することはできないのだ。


「悔しいし、もどかしいわ」
 言いながら握り締めたのは、知らぬ間に負っていた左腕の傷。庇われて転倒した際にアスファルトで擦ってしまったのだろう。騒ぎ立てるほどでもないから知盛には言ってくれるなと、手当てをしてくれた弁慶に頼んだ。こんな痛みなど、針で刺される程度の重みにもならない。
「その人達がいなければわたし達はきっと関わりあうことさえなくて、でも、その人達がいたから、わたし達は一個の人間同士として向き合うにはあまりにも多くのしがらみに囚われてしまっている」
 いったい、何がどうなっているのだろう。ふと思ったのは滑車を回し続けるハムスターの姿。どこが始まりなのか、何が起点なのかがわからない。
 始まってしまい、いつまでも終わらず、そして始まりさえ見失った。
 メビウス・リングよりもなお性質の悪いこの現状を打破しなくてはならないと、は思う。それがきっと、自分と知盛にとっての起点となったあの不可思議な夢を紐解くことに繋がるとも。
「あなたに謝ってもらって、わたしも謝る。これでお互い様。もう謝らないでね」
 今のところ、本当に“何も知らない”のはもはやだけだ。詳細を告げるようなことはしないが、きっと知盛はあの刃を通じて何かを見知った。ならばもう、その立ち位置はヒノエ達と同じだ。
「これまでのわたしはわかっていなかった。でも、わかった気がするの。だから、あなた達と改めて向き合うから」
 重ねないでと願うのではなく、見比べて卑屈になるのでも張り合うのでもなく。ただ、自分はここにいると訴えるから。
「囚われないで、前に進みましょう。それこそが、何よりの弔いになると思うわ」
 告げた言葉にじわと滲んだヒノエの瞳の底にある思いを計り知れないことを、もうは恐れない。

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Fin.

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