触れられない未来の記憶
「あ、だったら、来週の火曜日の夜って時間取れますか?」
携帯を取り出してふんふんと予定を確認していた望美が、ふと思い立った様子で明るい声を上げる。
「火曜? わたしは大丈夫だけど」
「……一応、今のところ、未定だな」
「じゃあ、よければ一緒にクリスマスパーティーをしませんか?」
そのままきらきらと笑いかけられて、は己が返答の選択を失敗したことを知る。やけに文節を区切ると思えば、そうか。もうそんな時期だった。
「せ、先輩。その、いきなり誘うのは、ちょっと、」
クリスマスの意味がいまいち読み取れていないらしい異世界からの来訪者達はともかく、慌てて口を挟んだ譲は可哀相なほど困惑して達をちらちらと見やってくる。その慌てぶりに逆に毒気を抜かれてしまい、ちらと視線を流せば知盛も淡く唇に笑みを滲ませている。
「どうする?」
「そうね。もし、お邪魔じゃないなら」
滅多なことではふれあえない相手。恐らく、この奇跡のような時間を超えてしまえば、二度と会うことはないだろう相手。そんな彼らと、異国の祝祭を口実にコミュニケーションの時間を持つのも悪くはない。表情と問いかけから知盛がこの誘い自体にはさほど気を悪くしていないことを読みとり、は前向きな検討を返す。
「ありがとうございます! せっかくだから、もっとお話ししたいなぁって」
「家でごく小さくやるだけなんですけど、ぜひ来てください。また連絡します」
「ええ、お願い。今週は午前の講義だけだし、何か要りようのものとかがあれば、遠慮なく言ってね」
にこにこと嬉しそうな望美に続けて、譲が仄かにはにかむ。あの豪邸で行うパーティーを小さくとは、ずいぶんと謙虚なものだ。だが、そういうごく私的な場で執り行うのなら、なおのことちょうどいい。
今日も今日とて自分達からぎこちなく視線を逸らすばかりだった青髪の青年を流し見て、はそっと、殺しきれなかった溜め息を宙に逃がした。
改めて別れを告げ、交差点を別れて進む。
「随分と、つれない恋人だな?」
おもむろにぽつりと落とされた言葉には、うっと息を呑む。そのまま恐る恐る見上げた先の表情は、常と変らない鋼鉄の無表情。
「ごめんなさい」
曜日を言われて、日付を思い出さなかったのは素直にの落ち度である。何事も淡白に捉えているのかと思いきや、もしかしてイベント事には意外とうるさい性格なのだろうか。
無論、とて一応、そこそこの計画を立てていたのだ。嫌がられてもショックを受けないように、けれど確かな期待を篭めて。それを自分のうっかり加減で棒に振ったのだから、まったくもって笑うしかない。
「でも、ね! でも、ほら。あの人達とはきっともう会えないだろうし、せっかくの機会だし」
「俺にとっても、せっかくの機会だったんだが?」
詰るというには実に静かな声音だったが、それは確かにのうかつさを責める言葉。返す言葉もなければ言い訳の言葉も尽き、俯きながら紡げるのは、贖罪のための言葉。
「本当にごめんなさい。埋め合わせはちゃんとするわ」
隣から諦め交じりの低い笑声が響き、謝罪を受け入れてもらえたことと、交換条件を許容してもらえたことを確かめる。そして、わかってはいたことだが、それだけでは終わらないこの男の侮れなさも。
「まあ、確かに“せっかくの機会”だ。割り切りきれてないあのバカと、少しばかり話をすることにするさ」
それをお望みだろう、と。反射的に振り仰いだ先では、深紫の双眸がからかうように、宥めるように笑っている。
埋め合わせの一環として夕食が食べたいと言われて、断る権利があるとはには思えなかった。実に気にかかる言葉で会話を断ち切られているのはもどかしかったが、周囲に人の気配がなくなればきっと再開してもらえるだろうと信じて、まるで自宅にいるかのごとき勢いで寛いでいる男と向き合って箸をとる。
基本的に何に関しても寛容な、あるいは無頓着な知盛だが、同時に底知れないのも知盛だ。はじめて知盛の存在を個別に認識した時、はまさかこのだらりと溶けてしまいそうな、いかにもつまらなそうな目をした男が自分と同じ大学の薬学部に在籍しているとは思わなかったし、さらにその中でも一握りしかいない超優等成績者だとは予想だにしなかった。
口を開けば知識に留まらず教養の高さが知れるし、センスもよければ審美眼も相当なもの。いったい何者なのかはいまだにわからないが、舌の肥え方も相当だということは知っていて、自分の料理の腕が実に平均的なものであることも知っている。
だから、は自分の料理を食べたいと言われて断ることはなくとも、決して感想は聞かないことにしている。文句を言わずに食べてもらえるのなら、それでよし。それに、何を求めなくても知盛は「いただきます」と「ごちそうさま」を欠かさない。外食する際に口にしないからには寛いでいる証かと思いきや、調理者への言葉だと告げられて真っ赤になったのはもはや懐かしい思い出だ。
「憐れなことだとも、思うがな」
食事を終え、食器の片付けを手伝ってもらうのもいつものこと。そのままカップにコーヒーを入れて、一息ついたところで期待通り、唐突に再開されたのは先の会話の続き。
「関わらざるをえない。生半可な臨み方では命さえ落としかねない。ならば、いい加減に割り切ってもらわないと、迷惑だ」
情況としてではなく、状況として。冷やかに言い放つ瞳の深さは、達に過去を求めた将臣のそれと似た、闇色の眩さ。あなたはあの刃からいったい何を伝えられたのかと、こみ上げた問いかけは、答えを知ることへの恐怖から音にならずに沈んでいくばかりだ。
Fin.