触れられない未来の記憶
扉の中に広がっていたのは、しんと静まり返った石の廻廊と不可思議な庭園だった。まるで迷宮。そう呟いたのは誰だったのか。だが、他に表現が見つからない。
「こんな時でなければ、楽しめたんだろうがな」
「ああいうところ、好きなの?」
「お前がな」
高台に上ってみればなんとなく全体が見渡せる。だというのに、阻む扉はうんともすんともいわない。様々な手を尽くした結果、辿り着いたのは最初の扉と同じ仕組みだという推論。すなわち、何がしかのきっかけがなければ開かないのだろう、と。
先に進めないのならば、居座り続ける理由もない。そもそも、第一陣ほどの数ではないが、コンスタントに怨霊が湧き続ける厄介な空間。闘い続ければ疲労は溜まり、リスクが高まるのは必然というものだ。
幸いにして、人数的なゆとりからも、が九郎から借り受けた小刀を抜き放つような場面には遭遇せずにすんだ。しかし、それがずっと保証されるとは限らない。考え方を根本から改めてこの事態に臨まなくてはならないかと思い悩みながらの帰り道だというのに、交わす言葉は他愛ない。
周到なことというか、当然の配慮というべきか、それぞれが手にしている武具は大振りの袋に包まれている。これだけ派手な集団でもあることだし、ぱっと見にはちょっとした買い物という言い訳でごまかせるだろう。異様さの中に埋もれた非日常は、その存在が目立たなくなる。
有川邸に戻る面々と別れる交差点で、今度は知盛は袋に入った双太刀を手放さなかった。それが彼の覚悟なのだろうと、自分との違いをもどかしく思いながら、はずっとタイミングが図れずにいた行動を実行に移す。
「九郎さん」
呼びかければ、きょとんと目を見開いて小首を傾げてくれる。そのどこか幼げな仕草は、日本史上に燦然と名を刻む悲劇の英雄像からはかけ離れているようで、ほんの少しだけおかしくなる。そして、切なくもなる。
「これ、ありがとうございました」
悪目立ちしてもいけないと思って鞄に滑り込ませておいた小刀を取り出せば、小さく「ああ」と声を上げてからゆるりと首を振る。
「迷惑じゃなければ、持っていてくれ」
「でも、これは九郎さんのものだし」
「俺には太刀があるが、お前には何もないだろう?」
差し向けられた気遣いは、ありがたいし得難いと思う。ただ、自分にはここまで気遣われるほどの何があるだろうと思ってしまうと、心の隅が闇色に染まる。
その思いやりは、気遣いは、発想は。すべてすべて、彼らが懐かしむ“”に対してではないだろうか。捻くれた考え方だとも思うが、あながち否定できないのは先の迷宮の中で、戦うことができずに身を固めてばかりだった姿に、戸惑いの視線を向けられ続けたから。
自分の知らない、彼らの知っている“知盛”と知盛の間には、齟齬がなさ過ぎて彼らを困惑させている。
自分の知らない、彼らの知っている“”との間には、齟齬がありすぎて彼らを困惑させている。
無論、は自分がまるで悪くないことを知っているし、一方的に責めるには彼らが抱える記憶が重すぎるということを、聞き知ってしまった。どんな人だったのだろう。どんなふうに彼らと接して、どんなふうに生きて、何をどのように刻みつけたのだろう。知ってみたいと思うし、知ることが怖いような気もする。ただ、何もかもから目を逸らしたままでは、きっと何も終わらないという予感があるだけで。
「あそこから溢れた怨霊が街中に出ないという保証はない。護身用にでも、持っていてくれればいい」
「……とりあえず、受けるだけ受け取っておけばどうだ?」
そうすれば、安心するんだろう。会話から剥離した思考回路が物思いに沈んでいるところに、そっと差し挟まれたのは知盛の声。取り持つようにを促し、宥めるように九郎を見遣る。
「また、何かあったら連絡をくれ。俺は来週から休みに入るし、こいつもそろそろ休みだからな」
「木曜からよ。水曜の昼締め切りのレポートがあって、それでおしまい」
あれほど嫌がるそぶりを見せたのに、知盛は既に目の前に横たわる事実から目を逸らさず、踏破する覚悟と誠意を示している。その姿に覚えた眩暈を無理やり胸の底に押し込んで、もまた、会話にそっと言葉を添える。
Fin.