朔夜のうさぎは夢を見る

それはいつか

「そんなところで、何をしている」
「たそがれてる」
 足音も気配もなく、けれど微かな衣擦れの音を伴って、御簾の向こうからかけられた声に将臣は振り向かないまま言葉を返した。なんとなく、雰囲気から言いたいことは察したようだが、言葉の意味は伝わっていまい。微かとはいえ、戸惑いの気配をこの男から感じ取れるのはこういった場面ぐらいなものであり、この手のずれを許容してくれるのが、一門の面々の優しさであることは存分にわかっている。
「お前、知ってたのか?」
「何を」
「清盛が危なかったこと」
 返答の代わりに、御簾を絡げる音が夕暮れの庭に落ちる。
「だから、あんなこと言ったのか?」
 あんなこと、と。言っておきながら将臣にはそれが何を示しているのか、明確にわかっていない。つい先日の遣り取りかもしれないし、一門から逃げろと遠回しに忠告してくれた宵の遣り取りかもしれない。けれど、別に限定する必要はなかろう。すべてすべて、結局のところ出所は同じ。行きつく先も、同じ。


「かほどに恐怖し、絶望し、惑うのならば。……今のうちに、手を引いておけ」
 ようやく返された声は、将臣の斜め後ろから降ってきた。相変わらず内心の読めない声が、問いかけとは無関係の言葉を紡ぐ。
「滅びの道に恐怖したまま軍場に出れば、己を殺し、味方を殺す」
「それは、諦めたことと同じ」
 吸った息を吐き出しきった気配を察し、将臣は辿り着いた答えを継ぎ足す。
「それで、お前は怒ったんだよな? 諦めたくないからって足掻きたがった俺が、心の底で、ずっと滅びの道を描いていたから」


 言い切ってから振り仰げば、予想と違って深紫の双眸がまっすぐに将臣のことを見据えていた。きっと、視線は遠くに投げたままだと思っていたのに。
「この国は、言霊にて幸の齎される国。意志の伴う言葉は、ただそれだけで呪言となる」
 あれほどの絶望を滲ませるのなら、お前の胸の内より零れ落ちた言葉は、どれほどの呪詛となろうか。呟きにも等しい声は淡々としていて、その胸の内を悟らせはしない。
「して、腹は決まったのか?」
「見てわかんねぇの?」
 不敵な笑みを形作るのに、余計な労力などいらなかった。自然と吊りあがった口の端に、けれど相手は柳眉を寄せる。
「お前は、救いようのない愚か者だな」
 それはお互い様だろうと、浮かんだ思いは表情にも滲ませない。紡がれる声が隠しきれなかった苦々しさの意味を、今の将臣は、考えることができる。







(まだ、手遅れだなんて言わせない)
(だから今は、君の心の声に耳を塞がせて)



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Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。