それはいつか
ダメだ、駄目だ、だめだ。
これでは足りない。まだ足りない。では、何が足りないというのだ。
力だろうか。知識だろうか。経験だろうか。
圧倒的に足りないのは信頼だ。そう、いったい何を言おうと、それが真理であろうと虚偽であろうと、信じてもらえないことには何も始まらない。
変えたいのに。この運命を、この時空の行き先を、彼らの帰趨を、命の灯を。
ぐらぐらとうだるような思考は果てを知らず、望美はきつと、親指の爪を噛む。
足りないものが、山のようにある。それはわかっている。そんなことは知っている。けれど、どこからどう着手すればいいのかがわからない。なにせ、時間がないのだ。
どうすればいい、どうすれば変えられる。
己は白龍の神子、源氏の神子。
徒人には操れない奇蹟を手に、切っ先に乗せ、そして戦場を駆け抜ける戦神子。
変えねばならぬ。背負わねばならぬ。彼らを死なせぬために、自分こそが、自分だけが。
「望美、ねえ、無理はしないで」
「ありがとう、朔。でも、大丈夫。だって、私は神子だもの」
気遣わしげに顔を覗きこんでくれた対の存在に、気丈に微笑めばその墨色の双眸が歪む。けれど望美は気づかない。気づけない。
なぜなら、今、彼女が直面している戦場において、彼女は死なないからだ。それを知っている。ゆえに今の望美に、朔を気にかける必要性はない。なぜなら、望美は己が一度にたくさんのことを考え、処理することができない自分のことを、よくよく理解している。
私は神子だもの。私だけが、運命を変えられるのだもの。
言葉にしたのは事実だけ。誰も知らない秘密はそっと胸の奥に沈める。けれど望美は気づけない。沈めた言葉が紡いだ言葉にべっとりと張り付いて、小さく小さく空気を震わせていたことに。
「……"神子"は、あなただけが背負う名ではないのよ」
脳裏をうるさく駆け巡る言葉はまるで洪水のように。だから望美には聞こえない。自分がそうと知らずこぼした思考の一端も、その思索に掠りもしない、けれど見落とすべきではなかった真理をあらわす言葉さえも。得難い絆がほつれ、綻び、徐々に徐々に近づいてくる崩壊の予感の、暗くうるさい足音にも。
思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。
next
Fin.