朔夜のうさぎは夢を見る

翳す刃

「何か、思うところでもあるのか?」
 知盛は空を、は地面を。互いに黙って夜闇に沈むそれらを見つめる中で、響いたのは静かな問いかけだった。
「俺は、アレをあまり使うなと……そう言ったと思うが」
「お咎めはいかようにも」
「そうは言っておらん」
 乾いた声で必死に切り返すに深く溜め息をつき、視線の巡らされる気配がある。けれど、は視線を動かさない。剥きだしの、何もないただ草が好き勝手に生えている地面を見据えて、沙汰を待っている。
「何を憂えている?」
 主が人外の力をあまり好んでいないことは知っている。対象が同類であるならば行使することを躊躇いはしないが、そうでなければ使うべきでないとするのは、時に傲岸不遜との形容を周囲から与えられる主が隠し続ける、あまりに謙虚な一面だ。
 力に驕ってはいけない。才に驕ってもいけない。何に驕ることもなく、何に対しても謙虚な心を忘れなかった主だからこそ、きっと誰よりも早く一門の辿る衰退の道を視てしまったのだ。


 問う声はやさしかった。
 知盛は変わったと、は思う。あの日、去れと言われてそれを拒絶して、愚かと言いながら抱きしめてくれたあの夜から。知盛はとてもわかりやすくなった。残された時間を惜しむように、精一杯に愛でるように。捻くれて遠まわしな言動はそのままであるくせに、声に、仕草に、思いがあからさまに滲むようになった。
「何を恐れている? 何に怯えている? ……お前の心を覆う不安は、なんだ?」
「不安を覚えずにいる戦など、ありません」
「なぜああも追い詰められていた? お前は、何に追い立てられている?」
 それを言わせようというのか。やさしい声で慰めるように問いを重ねられ、は唇を噛み締め、膝の上で両手をきつく握り締める。
 言えるはずがない。あなたの存在ゆえに、白龍の神子を何よりも恐ろしく思ったなどと。だというのに、知盛は変わる前も変わった後も、言葉など使わずにの内心を勝手に汲み取るのだ。
「そうやすやすと、敗れはせん」
 与えられたのは言質だった。ひどく遠まわしな、けれどそれはまだここに在ると言い聞かせる言葉。


 横合いから伸びてきた白い指先が、の肩を抱いて引き寄せる。その厚い胸板に上体を落とし込み、両の袖で覆い隠す。
「憂うな……俺は、神子殿にどうこうされはせん」
 つまらない冗談を言う性癖はない。偽りの慰めを口にしたりもしない。だから、この妙に確信に裏打たれた言葉には根拠があるのだ。の知らない、知盛だけが知っている根拠が。
「お前に役があるように、俺にも役がある」
「ゆえに、大丈夫だと?」
「お前に無茶をさせてまで守られるほど、俺は弱くないぞ」
 からかうように声が笑い、宥めるように冷たい指先が髪を梳く。
「何も変わりはせぬ。俺も、お前も、なすべきことをなすだけだ」
「なすべきことであるのなら、迷わずになせるものですか?」
「迷いはするだろうな。我らは神ではないのだから」
 直衣に縋る指先は、ぬくもりを拾わない。胸板に押し当てた耳は、鼓動を拾わない。誰よりも深い絶望に叩き落した諸悪の根源をこうしてやさしく抱きしめて、知盛は穏やかに嘯いている。
「最後まで付き合うさ……。そう誓うだけでは、お前の迷いをわずかなりとも払拭するにさえ足りぬか?」
 底抜けにやさしい声に、は黙って首を横に振った。声に出していらえるには、けれど迷いがまだ拭いきれなかったのだ。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。