朔夜のうさぎは夢を見る

精霊祭り

 お盆をやりたいのだと、そう言い出したのは譲だった。
「この世界にも、似たような習慣とか、もしかしたら俺達の知っているお盆の原型になった行事があるのかもしれないけどさ」
 自分達の知るお盆を、自分達の知っている通りに。
 意味と願いと祈りを篭めて成したいのだと言い、ついでに参加しないかと。どこで将臣の上京を耳にしたのか、滞在先として使っている新中納言邸に文を送ってきたのは昨日のことだ。言われてみれば確かにそんな時季かと思い、言われるまで思い至らなかった己に、この世界で過ごした時間の意味と長さの違いを思い知った。
 悼む思い、惜しむ思い、弔う思いに違いがあるとは言わせない。だが、お盆と、その行事を思い出した弟は自分よりもずっと清廉なままにこの戦乱をくぐりぬけたのだと、そのことを認められないほど将臣は暗愚ではありたくなかった。
 いいぜ、と。気楽な返事を出した。還内府の名はもはや返上できぬほどの重みを持ってしまったためそのまま放置しているが、内外に隠すことなく実権を握っているのは知盛だ。軍師としての側面ではなく政治家としての側面をこそ求められる情勢において、将臣は自分が“還内府”としてまるで役に立たないことを自覚している。それでも、この世界にはない政治形態や未だ見知らぬ歴史を知識として蓄えていることは、使える人間からすれば貴重であるらしい。
 知盛をはじめとした平家の重鎮達が執り行う政務を間近に見聞しながらもう一度、今度は政治家として一門のために働くべく様々なことを学ぶ傍ら、問われるままに自分の感覚やら知識やらから現況への見解を述べるのが、最近の将臣の役割。そのために他の誰よりも頻繁に福原と京とを行き来している状況を、利用しない理由はどこにもなかったのだ。


 もっとも、自由気ままに歩き回れるほど軽い立場でもない。そうだろうと察していた思惑のとおり、譲は望美のことも誘いたがったし、そうなれば話が九郎やら弁慶やらに抜けるのは当然。同時に将臣が自由行動の許可を求める相手にも話が通り、物珍しさだか共感だか、とにかくそれぞれの思惑を抱えた上で、なんだか見慣れた面子による宴席が成立してしまったのも、きっと当然の帰結だった。
「……なんか、なんか違う気がするんだけど」
「いいじゃねぇか、別に」
 違うかもしれないが自分の知ったようにやりたい。譲の言葉をそのまま告げつつ将臣が「盆とは何か」を説明してみたところ、知盛はあっさり「盂蘭盆会のことか」と頷いた。聞けばやはり似たような、そして物々しい行事が宮中で執り行われるらしいが、同時にそれは過ぎてしまったとも聞いた。
 別に合わせるつもりがあったわけでもないが、ならばやはり勝手にやればよかろうと結論付けて自由時間をもぎ取りながら参加表明を出そうとしたところに、何に興味を持ったのか「俺も参加させろ」と言い出したのだ。そして、「アレを使え」とも。


 助っ人はありがたく拝借し、現代風のお盆のやり方を知る面々によって準備は抜かりなく整えられた。ついでにこの世界の常識にも相当に染まっているが加わっていたことでその後の宴席の準備も抜かりなく整えられたから、もしかしたらそれを狙っていたのかとも思う。もっとも、気楽に、気心の知れた相手と共に酒を飲み交わすのは純粋に楽しいし、これはこれで譲が願っていただろうことを叶えているとも思う。
 きっと弟は、あの戦乱で喪われた命を、こうして悼みたかったのだろう。戦場で喪われた面々は、無論それぞれに弔われてもいる。だが、あの明日をも知れぬ緊迫感の中での弔いに慣れるには、圧倒的に時間が足りなかった。そして、見知った命の喪失をそれはそれで現実なのだと割り切るには、彼はまだ生と死があまりにも間近に、ぴたりと背を合わせて存在するというこの世界の在り方に染まることができていない。
 それは眩い稚さであり切ない清廉さであり、失われることが確定している現在だ。
 自分はいつ、あの世界での生死の感覚をこの世界でのそれに塗り替えたのだろうと思う。還内府という名を負い、将兵に限らず一門に連なるあまりに多くの死を見つめ続けたあの日々は、将臣に生きることの尊さを教え、死ぬことの荘厳さを教え、そのすべてを受け入れる老獪さを植え付けた。それは、悔いることもなければ誇ることもない、この世を知るということだったのだろうと思っている。


 悼み方は様々だ。将臣は喪われた命をきちんと悼んだつもりだったし、すべてを知っているとは言えないけれど、すべてを忘れるようなことだけはするまいと決めていた。だが、こうして改めて、すべてが落ち着いた今だからこそと悼みなおすのは、とても優しいことだと素直に感心している。
 迎え火にて魂を迎え入れ、供物を捧げてその魂を慰めて成仏を祈り、送り火にて送りだす。その大まかな流れの説明に加えてうっかり盆踊りの話をしたのが譲の運の尽き。パトロンを掴まえたから直接話をつけろと、間をもったのは確かに将臣だったが、手綱を握れなかったのは予想通り。そして、一種の自滅である。
 慰めるならばただ捧ぐだけではなく宴をもてばいいし、神楽の奉納と似たものだろう。宮中における仕様を説明しがてらそう解釈の綴られた文をどこで目にしたのか、じゃあついでに暑気払いでいいじゃんと話を纏めたのは、こともあろうに霊地の神職を纏める立場にある青年だったらしい。しかし、さすがに死者に対する敬意も本物であるらしく、用立てられた供物を兼ねた酒も肴も、盆棚に据えるものに限らずすべてお祓いをかけてあるとのことだった。
 迎え火から拾った火種で灯した燈篭が幻想的に揺れる月夜の庭を眺めながら、思い思いに死者を悼み、訪れた平穏を慈しむ。それはどこか切なくて、でもどこまでも優しい空間だった。敵も味方も関係なく、あの人のこんな姿を知っている、この人はこんな人だったと。ぽつぽつと語らうことで、未来を失ってしまった人々を、分け隔てなく供養する。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。