朔夜のうさぎは夢を見る

空知らぬ雨が君に降る 〜肆〜

 二人が頭を上げるのを待って同じように深く腰を折ってから、猩影はリクオに向き直った。
「怪我はねぇですか?」
「ああ」
「なら、俺はこの辺で」
 いまだ地面に座り込む姿に、手を貸そうとはしなかった。けれど確かに気遣う言葉と視線を投げてから、猩影はちらと二人を見やって告げる。
「このお二人は、連れて帰りますんで」
 明かすことは何もなく、分かち合うことも何もないと。温度を持たない視線は、下手な侮蔑や嫌悪の視線よりもよほど棘を持つ。
 明白に、引かれた一線の向こう側に立ち入れるのは、このあまりに物騒な二人だけ。組の若頭であるリクオでもなければ、総大将であるぬらりひょんでもない。幼い頃に慕っていた呼び名で呼ぶ、雪女や首無しでさえ、ない。
「……そいつらは、なにものだい? 説明が微塵もなしってェのは、さすがに仁義にもとるだろ」
 決して言葉にして語られることはなかったが、猩影の胸の内はなんとなく読み取れる。隔絶を招いたのは、間違いなくリクオの決断だ。しかし、それをあえて無視して、リクオは口の端を薄く吊り上げてみせた。
「大猿会の下僕かい?」


 飄々とした口調ながらも引き下がるつもりがないことを察したのか、ちらと周囲を見やってから、猩影は口を開く。
「ウチのシマに住む、古い古い方々ですよ」
「土地神なのか?」
 妖怪じゃあなさそうだがと、うそぶくリクオは、なんとももどかしい猩影の説明に何かしら思い当たるところのあったらしいぬらりひょんやら牛鬼やらの様子を横目に、言葉を繋ぐ。
「土地に縛られてはいませんね」
「じゃあ何だ?」
「アヤカシでもカミでもない、永き時を渡る存在。それだけですよ」
 あくまで曖昧な表現を崩さない猩影にリクオがさらに畳み掛ける前に、ぬらりひょんが口を挟む。
「よもや、“関守”か?」
「知ってましたか」
「昔、狒々に聞いたことがあってな」
 問いかけながらも確信を持ち、しかしとても信じられないと表情で雄弁に語るぬらりひょんに、猩影は浅く顎を引く。
「なら、もういいッスね」
「いやいや、逆じゃろ」
「俺はもう、言うことはありませんよ」
 小さくため息をついて、猩影は黙って控えている影を振り返る。


「お二方は、なんかありますか?」
「あると思うてか?」
「わたし達は、狒々殿には恩がありますけれど、それ以外の方々にはゆかりもありませんわ」
 言って冷ややかに、集う面々を見回した女は艶然と微笑む。
「狒々殿に聞いたというなら、ご存知でしょう? わたし達は、基本的にあなた方とは関わらない存在なのです。猩影殿とえにしを結んでいるのは、本来ならばあるまじきこと。ふたつとない例外です」
「わしらと結ぶつもりはないと?」
「それを猩影殿が望まれるならば、考えましょう。ですが、少なくとも今この状況において、それがあたうとでも?」
「思わんな」
「ならば、ありえないのでしょうね」
 言って軽く肩を竦め、女はついと袖を持ち上げる。
「わたし達のことを知りたいのなら、そこの牛鬼にでもお聞きなさい。捩眼山は、稀なる霊地がひとつ。牛頭丸、馬頭丸とは刃を交えたこともあります。いくばくか、知ることはあるでしょう」
 示された先、牛鬼は苦く表情を歪め、女はころころと喉を鳴らす。
「ご安心なさい。既に約は結ばれました。この先、たとえ猩影殿が理不尽な理由でもってあなた方に恨みを抱いたとしても、わたし達は手出しができません。そういう、約束ですから」

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。