軌跡を生むもの
深く、ただひたすらに深く沈んでいた意識が、常の目覚めとは違う勢いで浮上する。思考が追いつくよりも先に枕辺に手を伸ばし、愛刀を掴むと同時に身を翻す。背を向けた褥から小さく呻き声が上がるが、明瞭さを取り戻した感覚は離れた場所から届く喧騒に集中する。
「賊でしょうか?」
「……さて。わざわざ出向くに足る相手、だといいが」
隙なく構えて意識を研ぎ澄ませる背中に、寝起き特有の掠れた声で、しかし鋭利な問い。にやりと口の端を持ち上げて答えれば、逡巡の後、相手の気配を探る感触の糸がほぐれたのを感じる。
「寝ていろ。……今宵は、戻らんだろうさ」
乱れた寝衣を簡単に整え、衣桁から上掛けを羽織って廊へと向かう。もぞりと響いた衣擦れの音は、身を起こしたからか、寝返りを打ったからか。元より興味はないため、振り返りはしない。ただ静かな了承と見送りの声に一瞬だけ笑みを深め、膨れ上がる騒ぎの中心へと足を踏み出した。
夜更けであることを考慮して多少抑えてはあるらしいが、興奮に湧いた怒号は騒がしい。たかが侵入者の一人や二人、こうもたやすく取り逃がすとは、なんとも職務怠慢なこと。浮かぶ嘲笑に皮肉を篭め、さっと目を走らせて標的を探す。
「何の騒ぎだ」
居所に目星をつけ、ゆるりと出向いて声を放てば、弾かれたように振り返る驚愕の顔。焦燥もあらわにわたわたと道を開け、飛び出してきたのは見知った顔の郎党達。
「と、知盛様ッ!?」
「申し訳ございません。夜盗に入られまして……」
「すぐに捕えます。危のうございますゆえ、どうぞ邸内に――」
「たかが鼠の一匹に……この俺が、引けを取るとでも?」
口上を遮って凄艶に笑い、知盛は刀を抜き放つ。そのまま手近にいた郎党に鞘を預けると、低く「退いていろ」と命じてから迷いなく横合いの植え込みへと刃を振り下ろす。
「うおっ!?」
風切り音は、情けない悲鳴に塗り潰された。
あっという間に松明が掲げられる中、影から転がり出てきたのは風変わりな着物に身を包んだ青年。返す刃で横に凪げば、とっさに身を屈めて難を逃れる。
殺さないつもりではあるものの、傷をつけないつもりもない。思った以上に楽しめそうだと、愉悦に歪んだ視線で地に転がった相手を見定める。
「ちょ、おい、待てって!」
あえて隙を残して突きを繰り出せば、正確に与えられた逃げ道を辿る。磨けば光るだろう勘の良さにくつくつ笑い、戯れは終いと、逃げを打つ先に切っ先を突き立てる。
びくりと大袈裟なまでに体を跳ねさせ、それでも寸でのところで動きを止めるのは才能としか言えないだろう。困惑と怯え、不満と安堵。複雑に混ざり合った紺碧の視線をまっすぐに受け止め、知盛はゆるりと首を傾げる。
「さて、一体どんな鼠が入り込んだのやら」
呟きにも等しい声だったが、鞘を要求する手の動きに、傍に寄っても構わないと判断した取り巻きが一気に灯りを集める。ぼんやりと輪郭を捉えるのが精一杯だった青年の顔立ちが、光の下に暴かれる。
滅多なことでは崩れることのない知盛の表情が揺らぎ、瞳が大きく見開かれた。鞘を手に、地に刺した刀をしまうことさえ忘れて立ち尽くす様子を訝しみ、一人、また一人と青年を覗き込む郎党達もまた息を呑む。
「……なんだよ」
居直ったのか、腹を括ったのか。その場にでんと座り込み、ふてぶてしい表情で知盛たちを見上げていた青年が眉間に皺を寄せて唸る。だが、その言葉に返される状況説明はない。
捕らわれた侵入者と捕らえた邸の者の間に漂うのとは別種の緊張感を、しかし破ったのは邸の主。
「しげもり?」
弱々しい声が庭に面した廊から響き、その男の登場に気づいていなかった郎党達が一斉に膝を折り、頭を下げる。一気に開けた視野の中、変わらず泰然とあるのは知盛だけ。大して驚いた風もなく首をめぐらせ、掠れた声を紡ぎだす。
「父上……お起こししてしまいましたか?」
腰の辺りから「親子?」という頓狂な呟きが聞こえてきたが、知盛に答える義理はない。知盛と同じく寝衣の上に一枚羽織っただけの出で立ちで呆然と立ち尽くし、まじまじと青年を見続けている男にも、また。
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