朔夜のうさぎは夢を見る

いとしいとしと言ふ心

 蓋を開けてみれば、何のことはない。確かに品定めというか、味見というか、そういう目的で持ち込まれた縁談相手の許に夜毎赴いていたらしいが、その上で「違う」と感じては丁重に断りを出して歩いていたらしい。当初はそれでもどこかしらと縁談を結ばねばならないかと思っていたそうだが、結局、どの姫君にも執着を覚えられなかったのだと。あろうことか知盛は、三日夜の餅を頬張りながら明かしてくれた。
 とんでもない事後報告を抱えて承諾を得に時子に頭を下げた日のことを、は忘れない。基本的に仁和寺の外に出ることを許されていない清盛にも報告をしたいからと、わざわざ重衡や将臣まで巻き込んで面会用にと借り受けている堂に席を設け、を正室に迎えたいと、いつになく真摯な様子で両親の許しを請う背中に視界が曇った瞬間は、今でもまざまざと脳裏に描かれる。
 事の規模が規模だったため、どうしてもっと早く相談なり報告なりをしなかったのかと詰られてもいたが、それでも、誰にも反対をされるどころか誰もに祝福を受け、不覚にも泣き崩れたのは二月ほど前のこと。平泉から義理の父が京までやってくるのを待ち、言葉を違えず文を送り、藤原家の面々の許しを受け、知盛は古式ゆかしくに婚姻を請うた。
 そろそろ秋の気配を感じる、一年の中でも最も月の美しい夜を選んで。


 婚姻を結ぶ男女の倣いとして互いの単衣を交換したのはいいものの、そんな些細な事実のひとつをとってさえ、頬に血を上らせる要因になる。適当に着崩している知盛はさほどの違和感もないが、大きさのあわない単衣を身に纏う心もとなさに、はどうしたってあわせのあたりやら袖先やらを気にしてしまう。落ち着きなく細々と衣をいじっている姿が面白かったのか、つと細められた深紫の瞳の奥に愉悦の色が滲み、喉が小さく鳴らされる。
「落ち着かん、か」
「体の大きさが違うことはわかっていたのですが、改めて実感すると、どうにも違和感が」
「そうだな……常よりも、そそる」
 単衣に着られているの肩を引き、胸元に落ちてきた頭に頬を寄せ、耳元に艶を滲ませた声を落とせば、あっという間に耳朶が真っ赤に染まる。
「それよりも、食え。明朝のこともある。今宵は、これ以上の手出しはせんさ」
 言いながら餅を摘まみ、予告もせずにひょいとの口に指を突っ込んで、知盛は慌ててもごもごと顎をうごめかせる様子に、再び笑う。
「新院に、先日お会いしてな。早く子を成せと、そう言われてしまった」
 三日夜餅は、噛み切ってはならないのが慣習であると聞いた。それなりに小さく作ってはあるのだが、だからと言って飲み込むにはまだ辛い。返答のできないまま一生懸命歯を上下させ、は独り言にも似た知盛の言葉を聞く。


「俺にしてはよくよく我慢した方だと思っていたが、どうやらさっさと子を成さねば、あらぬ疑いを持たれてしまうらしい」
 それは、も感じていたことである。平家が権勢を誇っていた頃からずっとそう見なされていたためすっかり忘れていたが、知盛がを手許に置いている年数に反して、一向に子供が宿る気配がないことを、どうやら周囲からはその手の病か何かだと思われているらしい。泰衡邸の女房達にこぞって「大丈夫です、まだお若いのですから」とか「希望を捨ててはなりません」とか、あまりにも真剣な様子で慰められた折には、顔から火が出るかと思ったのだ。
 うっかりそんなことを思い出し、つい表情を歪めながらもぐもぐと顎を動かすに、知盛は笑いながら頬を撫でてくる。
 子などできていなくて当然である。は知盛の寵愛を一身に注がれているとしてありとあらゆる姫君からのやっかみを受けていたが、そんな一夜限りの逢瀬を紡ぐ姫君達とは異なり、これまでは知盛と肌を重ねたことなどなかったのだ。
「まあ、こればかりは天の采配ゆえ、俺ごときにはどうすることもできんが。できる限りのことは為すつもりゆえな。……覚悟召されよ?」
 この三日間だけでも過ぎるほどに手一杯だったというのに、何をどう覚悟すればいいのか。ようやく餅を飲み込めたものの、今度は思考回路がついていかずに言葉を紡げずにいるにくつくつと笑い、知盛は高坏を押しやってこつりと額を合わせる。
「をとつひも昨日も今日も見つれども 明日さへ見まく欲しき君かも」
 そっと、慈しむように紡がれた和歌の優しさに、あらゆる思いにほとんど破綻気味だった思考回路がぎこちなくも回りだす。一昨日も、昨日も、今日も、明日も。そしてずっと、未来まで。絶えず共に在るのだと。そう宣した知盛に応え、は笑う。ならば自分は、いついつまでもあなたの還る場所であり続けられるでしょう、と。
「水の上に浮かべる舟の君ならば ここぞ泊りと言はましものを」
 やわらに和んだ深紫の瞳が、視界の中でぼやける。焦点が合わなくなるほど近くに寄せられたのだと、脳裏をよぎるそんな思考は、軽く触れ合わされた吐息に溶けて、夜闇に散っていった。

Fin.

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和歌参照:和歌の総角
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