朔夜のうさぎは夢を見る

百考は一行にしかず

 彼女は、こことはまるで異なる世界からやってきたのだと、そう言っていた。
 そこでは、戦乱は遠く、海の彼方の異国でしか起きていないのだという。刀剣は宝物としての価値しか持たず、人を殺めることはおろか、傷つけることでさえ罪に問われる。陰陽術もなければ、龍神伝説や五行の考えさえ存在しないというのは驚きでしかなかった。その割に、彼女は実に巧みにあらゆる術を操るものだから。
 人々は皆、幼いうちから等しく学問に勤しむことを義務付けられ、己が望むままに知識と技術を磨き、それを活かして生計を立てるのだそうだ。
 九郎は眉間に皺を寄せ、難しい貌をして話を聞いていた。朔は時折り言葉の意味がわからなくなるらしく、楽しげに語る望美ではなく、穏やかに聞き手に回っている譲にぽつぽつと質問をしていた。ヒノエはその世界に己が暮らしていた場合の夢想を語り、弁慶は想像することさえできない怪我や病の治療法に喰いついている。寡黙なリズヴァーンは相変らず黙したままだったが、面から覗く双眸が穏やかに微笑んでいるし、敦盛に至っては圧倒されたように目を見開いてじっと語りに聞き入っていた。
 さて、では自分の場合はどうかというと、残念なことに気分が暗くなるのを悟られないよう、表情を取り繕うことで景時は手いっぱいだった。


 夢のよう、という言葉がそのまま当てはまる世界だと思った。
 そこには、今の景時たちが当たり前に接しているような身分の隔たりというものがほとんど存在しないのだそうだ。あるにはあるが、これほどまでに厳密ではない。人は皆、己の力で己の生きる道を選択する権利を与えられており、たとえ誰かに道を強要されたとしても、そこから抜け出すことを過剰に恐れる必要などないのだそうだ。
 九郎はその話に対して責務だの血筋だのといった反論を返していたし、景時もそう思う。そして、同時に深く納得する。なるほど、望美のあの、景時にとってはほぼいつでも無策無謀としか映らない大胆な行動力は、こうした感覚の違いに裏付けられているのかと。


 元の世界に戻りたいという、切実な願いを持っているのだろう。望美は、彼女が語ってくれる平和で穏やかで、あまりにも恵まれた世界と裏腹なこの世界において、あまりにも勇敢に現実に立ち向かう。
 戦など存在しないと言っていたのに、戦場では最前線で刃を握る。戦略を話し合う場では堂々と持論を展開し、時に九郎や弁慶の策を曲げさせることさえある。いったいどこからあれほどの自信が湧き出てくるのか、景時には理解できない。それでも、常に内心を隠して表情を取り繕うことに慣れた景時だからこそ、わかることがある。
 望美の言動は、いつだって何かしらの確信に裏打たれている。常に二律背反の可能性に怯え、それを悟らせまいと必死に振る舞う景時とは正反対。虚勢ではなく、確たる自信と決して振り返ろうとせぬ強い意志とで前へ、前へと歩み続けている。


 けれど時々、景時は不安になる。前へ、前へ、前へ。立ち止まることを知らない、あるいは立ち止まることを切り捨てた彼女は、いざ目の前にあるはずだった道が断ち切られた時、その歩みを止めるという行動を選び取ることができるのだろうかと。








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Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。