朔夜のうさぎは夢を見る

百見は一考にしかず

 九郎が龍神の神子と名乗る少女を信じるまでに要した時間は、どれほど長く見積もっても約一日だった。
 黒龍の神子である朔は、少女を連れて陣営にやってきたことからして、出会ったすぐさま彼女を信じたのだろうと思われる。景時は、その妹の判断に加えて、これまでに磨き上げた陰陽師としての感性で少女の類稀なる陽気の強大さを見知り、徒人ではありえぬと判じたのだろう。
 少し景時の京邸を留守にしていた間にいついていた甥も、軽薄な様子を演じながら、あれでいて神職としての能力は高い。九郎が剣の師と仰ぐ鬼と、少女と同じ世界からやってきたのだと語る青年は、物事の捉え方が異なるだろうから論外。まして、人でさえない存在の考えていることなど、量り知れようはずもない。


 確かに、彼女は怨霊を封じる術を持っていた。己や九郎、景時らの身には徒人の目には映らない不可思議な玉が埋め込まれ、それを通じて五行が強く流れ込むのを感じるし、その五行を強大な術として放出する術も、誰に説明を乞う必要もなく、ごく自然と理解することができていた。
 つまり、少女を中心としてありうべからず奇蹟が現実になっているのだと、信じることはたやすい。それでも、弁慶はそういうわかりやすい現実にたやすく流されることをよしとできない己の性格のことも、よくよく理解しているつもりだった。


「龍神伝説について、何か、変わった話を聞いたことはありませんか?」
「変わった話? たとえば?」
「神子の持つ力、神子がやってくるというここではない世界のこと、龍神が神子や八葉を定める基準――なんでも構いません」
 下鴨神社で出会った、譲の兄だという青年と共に京邸に戻り、にぎやかに盛り上がる望美らを横目にそっと部屋を移し、弁慶は目配せに気付いて追いかけてきたヒノエに問いかける。
「そんなの、俺に聞くのはお門違いだって、わかってるだろ」
「星の一族こそが龍神伝説に最も関わっているのは事実ですが、君だって、仮にも神職の家系ではありませんか」
「あいにく、俺が奉るのは京を守護せし応龍ではないんでね」
 軽く肩をすくめた小生意気な甥は、年齢に見合わぬ老獪さを湛えた双眸でじっと弁慶を見つめ返す。
「やけに姫君に熱い視線を注いでいるとは思ったけど、やっぱり、ろくでもないことを考えてたんだ?」
 声音は仄かな嘲弄の気配を帯びているが、瞳の真摯さがヒノエの本心を弁慶に伝える。つまり、二人は同じ穴のむじななのだと。


「目にしたものを見たままに信じるのは得難い美点なんだろうけどさ、致命的な欠点だよね」
 あんなんで大丈夫なのかい、お宅の大将は。低めた声での問いかけに、弁慶は慣れた調子ですっかり口に馴染みきった言葉を返すのみ。
「そのために、僕がいるんですよ」










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Fin.

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