百聞は一見にしかず
噂には聞いていた。いや、伝承には聞いていた、というのが正確な表現か。
この日の本の国において、龍神伝説を知らぬものなどいないだろう。いかに貧しい生活を送っていたとしても、母親は子らに、寝物語に語って聞かせる。
かつて、この国を呪詛で覆わんとした鬼がいる。国を荒らし、滅びの道へと追い立てた鬼を退けたのは、龍神に選ばれた神子と、その神子を守護せし八人の男達。
だから母親らは子らに語って聞かせる。
大丈夫、大丈夫。辛いことがあったとしても、苦しいことがあったとしても、どうにもならなくなれば、きっと龍神様が神子様を遣わしてくださるから。
龍神の神子さえ現れれば、きっと、この世は救われるから。
九郎もまた、特殊な生い立ちを経ている中で、どこかしらでそんな寝物語を耳にした記憶がある。もしかしたら、何か、書物で読んだのかもしれない。その由縁の正確なところは、もうわからない。それでも、知っているという事実は揺るがない。
世が荒れてどうにもならなくなった時、龍神がこの世を救うため、天から神子を遣わすのだという。そんなの、結局は母が子を寝かしつけるために語る、何の根拠もない空想だと思っていたのだが、いったいどうしたことか。九郎の目の前には、その空想を名乗る娘が降り立ったのだから、世の中、何がどうなっているのかわからない。
小生意気な娘だと思った。生意気な口をきき、源氏軍の大将を命じられている九郎を敬う気配など微塵もなく、何かを見透かしたような行動ばかりを取る娘。この世ならざる場所からやってきたのだと語る共に現れた青年は、何かを知っていながら必死に口にするまいと唇を噛んでいるようだった。
行動の端々が、言動のそこかしこが癪に障る小娘。たとえ怨霊を封じる術を持つからといって、こんな少女に頼らねばならないなど、九郎の矜持が許さない。幾度寝物語に聞かされようと、書物を読もうと、伝承を紐解こうと、結局のところ、九郎にとって龍神伝説はあくまで御伽草子にすぎない。そんなもの、単なる言葉の羅列に過ぎないと思っていたのに。
短く、鋭く、気合の一声と共に怨霊を両断する太刀筋は、苛烈にして鮮烈。舞うように軽やかでありながら、ひとひらの躊躇いもない美しい一閃。
まだ、出会ってからほんの数刻だ。少女の人となりを知るには短すぎる時間。そう理性ではわかっているのに、感性が快哉を叫ぶ。なるほど、これが民草に救世の神子と謡われる、龍神の神子の奇蹟なのかと。
「少しは、信じてもらえました?」
襲いかかってきた怨霊を一体残らず封印し、そんな立ち回りを感じさせないほどに落ちつき払った呼吸を保ちながら、振り返った娘は勝気な笑みを浮かべる。
「私は、神子――白龍の神子。春日望美」
二十余年の人生の中で、この日、九郎は初めて理解した。広く語られる龍神伝説は単なるおとぎ話ではなく、真実を預言していたのだと。
他人から聞いただけのものを、どうして信じられる
己が目で見、己が耳で聞き、己が身で感じ取ったものこそが真実
さて、では、そうして触れたものが真理であると、
どうして知ることができようか
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Fin.