朔夜のうさぎは夢を見る

笑うこと

 和議が成ってより後もなお、白龍の神子は京にある梶原邸に身を寄せている。黒龍の神子たる朔もまた、時に鎌倉に足を運ぶことはあれど、基本的に京にて日々を送っている。それは、彼女らが負う名がために。
 龍神の神子は、京の龍脈の化身である応龍の陰陽の側面が見出す存在。その加護が広く国中に向けられているとしても、どうしたって濃淡は生じる。中心地たる京では濃淡の両面が強く現れる。よって、良くも悪くも彼女らは京に留まる必要があったのだ。
 もっとも、だからといって特別な責務が発生しているわけでもない。自然発生する怨霊を調伏するのは陰陽寮の領分。今も望美には封印の力が、朔には鎮めの力が残されているのかもしれないが、黒白の龍が応龍となって龍脈に還った今、むやみにその力に頼るのは避けるべきだと断言してくれた陰陽頭によって、そのような依頼はすべて捻りつぶされているらしい。


 捻りつぶすだけの陰陽師としての実力と、政治力と、権力とを手にしているのが当代の陰陽頭にして安倍家当主なのだ。そして同時に、ただ野放しにすることが許される時期は過ぎたと言ってきたのも、彼。
 神子としての責務を果たし、役目は終えた。しかし、望美や朔が身に宿す陰陽の気はあまりに甚大。何らかの術にて使いこなせるようになれとは言わないが、感情の起伏に応じてざわめくのを放っておくことは好ましくない。よって、せめて制御するための最低限の心構えぐらいは叩き込んだ方がいい。その申し出を受けて、和議が成立した直後から二、三日に一度の頻度で彼女らが安倍家に通っているのは知っていた。
 別にそう大したことを教えるわけではないとの予告どおり、そろそろ終わらせられるとの連絡を受けたのがつい先日。昨晩の夕餉の席で「卒業できました」と望美が笑っていたから、もちろん遠からず報告をしてもらえるとは思っていたが、直々に安倍の当主が足を運ぶとは思わなかったのだ。まして、わけのわからない“お願い”をされるなどと。


 特に忙しかったり、どこぞの宴席に招かれたりということがない限り妹と、今や義妹とも呼べるだろう少女達と夕餉を共にするのは景時の日常。
「そういえば、望美ちゃん。安倍のご当主に、俺の発明のことを話したって聞いたんだけど」
 他愛ない日常の会話を楽しんでから、景時は実にさりげなく、絶妙の間合いで本日のとっておきの話題を持ち出した。
「あ、もしかして泰親さん、先に話しちゃったんですか?」
「え? 先にって?」
 卜占の的中率から、かの晴明の再来とまで湛えられる大陰陽師を気軽に名で呼ぶあたりはさすがの望美らしさだと思いながらも、どきりと跳ねた内心は綺麗に覆い隠してとぼけた表情で景時は首を傾げる。
「まだなんですか? 良かった」
 基本的に望美はいつでも楽しげに笑っているが、今日はいつにも増して機嫌が良いようだ。にこにこと朔と目を見合わせ、思わせぶりに「ねぇ」と頷き合う様子は実に愛くるしい。


 こうして妹が明るく笑えるようになった裏には、小さからぬ望美の存在がある。兄としてはありがたい限りであり、朔の年齢相応の笑顔を見るたびに感じるあたたかな思いについぼんやり感慨に耽ってしまった景時に、そして望美はそのままの調子で容赦ない会心の一撃を。
「泰親さんには、確かにいっぱいお話しましたよ。私がこの時空で見せてもらったものだけじゃなくて、いろんな景時さんから見せてもらった発明のこと、全部」
「……ああ、うん」
 穏やかな心地から一転、ずんと沈む心臓が痛い。ついでに胃も痛んできたようで、景時はちょうど箸の先につまんでいた青菜を口に入れることを躊躇う。
 そもそも、龍神の神子にじかに接する機会自体が僥倖。これは自分の杞憂に端を発しているのだから、対価は無用。そう言って望美と朔への教示を申し出てくれた泰親だったのだが、それでは自分達が心苦しいと反発した望美達に求められた対価が、龍神の神子やら八葉やらにまつわる話をすることだったらしい。
 龍神伝説に関連する諸々の記録は星の一族の許にも残されているが、先代、先々代と八葉を輩出した安倍家にも少なからぬ資料が残されている。当代は該当者がいなかったが、後世のためにもぜひ記録を残したいという申し出は各勢力にも届けられており、それぞれが協力して記録を編纂している。
 それとはまた違う視点での話を聞きたいというのが望美と朔に示された対価だったことは知っていたが、話の内容は景時の想像とだいぶ方向性を異にしていた。
「それで、話していて思い出したんです。景時さん、花火って作れませんか?」
 躊躇いながらもなんとか口に入れた青菜を飲み下すのと、昼間に思いがけない人物から告げられた耳馴染みのない単語が耳朶を打つのは、同時だった。

next

back to 彼はそれでも人間である index

http://mugetsunoyo.yomibitoshirazu.jp/
いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。