夢見ること
光を感じることが不思議で持ち上げた瞼の向こう、視界を埋めるのが木目の美しい天井であることを認識した瞬間、将臣が思ったのは「自分はまだ夢を見ているのだろう」ということだった。幾度か瞬きを繰り返し、どうせ夢ならばと思って身を起こそうとしたが、体の節々が痛くて動かない。妙に現実味を帯びているものだと、喉を震わせた苦笑に滲んでいたのは怯え。
これは夢だ。夢に決まっている。夢でなくてはならない。だというのに、夢であるはずの世界は現実と同じくひどく残酷で。
「ああ、気がついたんですね」
丸一日、寝ていたんですよ。どうやら、自覚以上にお疲れだったようですね。休めると知った体が、君の意思には関係なく、休息を求めたのでしょう。問うよりも先に与えられるのは、それこそ無自覚だった自身の体の状態。そうか、それでこんな中途半端な時間に目を覚ましたのかと、相手の正体を確認しようともせず、ただ目に入る光の強さから時刻を割り出そうとする思考回路はいつもと同じ。
衣擦れの音。気配の色。先触れ代わりのほのかな香り。わずかというべきか、悠にというべきか。そろそろ四年を数えるこの異世界での生活は、将臣に相手を視認せずともその正体を察する術を与えている。
「酷い貌ですね」
溜め息と共に視界を覆ったのは、見知った微笑の敵軍の軍師。
「生き延びたことは、嬉しくありませんか?」
皮肉な言葉運びではあったが、声が同情に濡れていることはまるで隠されていなかった。
ずっと岩牢で寝起きしていたために凝り固まっていた筋肉は、助けを借りれば軋みながらも正常に動く。まったくもって不愉快なことに、見張りやら世話役やらにつけられていた源氏の兵は無様に敵将への憎しみを暴発させることよりも、もののふとしての誇りに従って動くものばかりだったらしい。
暴行を受けることはなく、生きるための最低限の食事は与えられていた。やはり最低限だった傷の手当てゆえに肉体疲労は必要以上のものだったが、大したものだというのが素直な感想。平家の兵でも、こうして感情を殺して上の思惑通りの駒としてあることを己に律しきれるものは、そうそういなかったろうと知っている。
「君にあてがわれた薬師は、もう少し腕を磨くべきですね」
「……あえてこの程度にしたんじゃねぇの?」
「仮にも平家の総大将ですよ? 見劣りするような状態にしてしまうのは、単に腕が足りていないか、役目を理解していないかです」
体を起こす手助けをし、筋をほぐしつつ触診をしていたのだろう。改めて将臣に向きなおった弁慶は、互いがまだ見え透いた殻を被っていた頃と同じ表情で溜め息をつく。
「本来ならば、いずこかの邸を牢代わりにするべきだったのですが……“還内府”の存在は、どうあっても恐ろしかったのでしょうね」
真意が読めない。状況を理解したくない。さあ、その言い回しがすべて過去形になっているのはどういった料簡か。
「で? 処刑の日取りでも決まったのか?」
「ええ。実は昨日の昼に」
告げる声は感情を押し殺したそれで、その平淡さがかえって胸騒ぎを呼び起こす。いまだ生きていることへの感謝ではなく、“還内府”がいまだ生かされていることへの不審として。
「君が入れられていた牢は、実は相当な数の結界で覆われていまして」
人はおろか、獣も鳥も、虫も、怨霊も妖も神も。ナニモノも逃すことなく、入りこむことのないようにと施された霊的な罠の数々。ゆえに周辺の気配は断たれ、時間の流れさえ曖昧であったことだろうと弁慶は続けた。
「兵達の中には、君のことを怨霊だと信じて疑わないものが相当いましたし、知盛殿と月天将殿の行方がわかりませんでしたからね」
ただでさえ怨霊を兵として配する平家。怨霊に入り込まれては気づかないかもしれないし、新中納言は陰陽術にも通じているという。また、月天将は南都の一件で知られる術使い。警戒をしすぎることはなかったのだ。
「だから、俺は大騒ぎにも気づかなかったって?」
「気づかなかったことを、責める必要もなければ嘆く必要もないということですよ」
噛み合っているようで噛み合わない会話は、将臣があえて問いたださない話題と、弁慶がなぜかまだ触れようとしない話題ゆえに。
不自然な沈黙を挟み、そして切り出したのは弁慶。
「――“還内府”は、神子の手によって浄化され、存在を抹消されました」
それこそが、絡操りの正体なのだろう。
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