朔夜のうさぎは夢を見る

意志すること

 出会ったことのない運命に行き着くことは、リズヴァーンにとって希望であると同時に耐え難い恐怖でもあった。あるいは絶望と言い換えてもいい。なぜならそれは、時空を超えては運命をやり直す彼にとって、可能性との遭遇であるからだ。
 この運命なら、彼女は死なないかもしれない。彼女が目指す幸福に辿り着けるかもしれない。
 そう思う一方で、やり直し続けたからこそ知る数多の可能性が、もう一面を囁き続ける。
 この運命では、彼女はより非業の死を遂げるかもしれない。さらなる絶望を思い知り、心を壊してしまうかもしれない。
 決断とは、選び取ることだ。リズヴァーンはそう望美に教え諭したし、九郎にも告げた。敦盛にも説き、譲にも示した。選び取るとはすなわち、捨てること。己と望美のように道をやり直せることが特異な例外であることはさすがにわかっている。人は、これと定めたただひとつの道を踏破することしかできない。いや、命あるモノは、か。
 何度となく運命を塗り重ねていく自分達が正しいかなど、わからない。きっと、多くの場合において糾弾されるだろうという客観的な自覚はある。それでも、可能性を手にした以上、縋らずにはいられないのが心を持つ存在としての性だ。
 運命の上書きと自分達は呼んでいるが、そもそもこれは本当に上書きなのか。だとすれば、自分と望美と、それぞれがそれぞれの思惑を持って跳躍しているこの不整合はどのように解消されているのか。思考を巡らせはじめれば切りのない自己矛盾からは、目を逸らすに限る。
 つまるところ、終えなくてはならないのだ。いつか、いずれ。そのためには辿り着かねばならず、貫き通さねばならない。たとえ目の前で展開される運命が、これまでに見たことのない役者を加えた、まったく未知の可能性だったとしても。


 今のリズヴァーンが神子と仰ぐ望美が、いつの、どの望美であるかを知る術はない。けれど、少なくとも彼女はもう何度となく時空を超えている望美であろう。剣を握ったことのない彼女から歴戦のつわものとしての彼女まで、あらゆる望美に剣を教えてきたからこその判断基準で、彼女の戦闘力からリズヴァーンはそう判じていた。
 どんな運命を辿り、何を見知っているのかをつぶさに知る術はない。ただ、彼女はリズヴァーンが己の同志であることを知っており、幾多の運命を俯瞰すればこその発言をそれとなく支持されるたびに静かに瞳で感謝の意を伝えられる。その程度には、事情を諒解し合うだけの経験を積んでいるらしかった。
 いったいどの結末から舞い戻ってきたのかはわからないが、少なくとも彼女は、今回は宇治川からやり直すことにしたようだった。姿を隠してひそかに見守る中で、彼女は明らかに源氏の陣への道行きを知っていたし、九郎や弁慶との遣り取りに慣れていた。
 そつない演技で周囲からの不審の目をかわし、実に効率よく時流をなぞっていく。この様子ならば危なげなく自分に会いに来るだろうと判じ、どうせ何も変わりはしないと知りつつ町で噂を拾いながら時勢を確認しながら、そしてリズヴァーンは己が思いがけない横道に迷い込んでいることの意味を思う。
 数えることなどとうに放棄した中で、初めて耳にする単語と“事実”が飛び交っていたのは数年前の年の瀬のこと。果たして望美がこの運命を知っているのか否か、これまでの過去との齟齬が、この先の分岐にどのように影響してくるのか。
 胸に渦巻く期待と不安を無表情の下に飲み下し、けれどリズヴァーンはあえて自分から言い出すことは控えることにした。少なくとも、こうして“この京”における過去に対して違和を覚えるのは、自分と望美と、強いて言えば譲ぐらいなものだろう。リズヴァーンにとって、神子の決断は絶対。彼女が彼女の意思で道を定めるためには、求められない限り余計な口出しはしないつもりだったし、導けるだけの手札がない以上、ただ純粋に彼女の道に従うことしか選べなかったのだ。


 聞いたことのない平家の将。幾多に見知った時空の顛末とはまるで異なる南都焼き打ち。少なくともこれで、もし今の望美が平泉に至る道を選ぼうとしているなら、冬の旅路が非情に厄介になったことだけは確かだった。
 かつて自分達が平泉までを無事に踏破できたのは、泰衡が迎えにと差し向けてくれた“銀”の存在が非常に大きい。しかし、この時空には“銀”が生まれる要素の根底がそもそも存在しない。南都焼き打ちに対する罪悪感を持たない彼なら、荼吉尼天に呪詛を埋め込まれて利用されることもないだろう。三草山でたとえ捕えられたとしても、そのまま処刑されるのが落ち。
 望美がいつこの事実に気づくかと静かに観察していたリズヴァーンはそして、ひとつの分岐点になるだろうと踏んでいたその三草山で、想像以上の新しい運命の姿に出逢った。この運命の帰趨を決定づける、凪いだ湖面に放り込まれた小石のような娘。時勢をも左右する力を持った当事者の考えを動かすという、たったひとつの道を往くことしかできない在り方ゆえの、運命の変え方を体現した存在に。

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