意志すること
訪れた部屋の御簾は、実に品良く絡げられていた。訪れるものに躊躇う気持ちを抱かせず、かといって誰もを迎え入れるほど解放された様子もなく。柱の脇で足を止めて「失礼する」と声をかければ、穏やかに凪いでいた気配がふわりと動く。
「どうぞ、お入りください」
促されて柱の陰から進み出れば、部屋の中ほどで娘が膝から床へと広げた布を手繰り寄せている。
「すぐに片付けますので」
「いや、そのままで構わない」
その手の内で仕立てられているものの正体も、彼女がこのような雑事に勤しんでいる経緯も、リズヴァーンはすべて知っている。弁慶に道具の一切を揃えた上で笑顔で迫られ、ばつが悪そうにしながらせめてと布地だけは自分で選び、どう切り出したものかと唸っていた九郎のことを微笑ましく見やったのは、つい先日のことだ。
「はかどっているか?」
「ええ、それなりに」
どうせ自分が去った後も作業に戻るのだろうからと、あまりきちんと片づける必要はないと告げれば、その旨を汲み取ったらしい娘は座す脇に手慣れた調子で布地の小山を積み上げる。
「九郎殿が戻られましたら、大まかにでも寸法を合わせさせていただく必要がありますけれど」
「将臣や知盛と、さほど変わらないだろう。最後に調整をするだけで良いのではないのか?」
あらかじめ用立てられていた円座を勧められ、そちらに向きなおる娘に合わせて腰を下ろす。そつなく上座を譲るあたりは、さすがの礼節。その礎となっているだろう男の名前をさりげなく口にすれば、わずかに見開かれた目尻にほんのりと朱を上らせる。その様子は、ありふれた町娘のものと相違ないのに。
誰もが等しく戦っている。誰もが、誰もにできる精一杯で。
いつか、刀の握り方さえおぼつかなかった九郎や望美を導いた最初の記憶がいつのものなのかは、もう定かではない。それだけの時間を繰り返してきた。そうして終わりの見えない時間を踏破してきた自分は誰よりもわがままで醜悪で、けれどそれもまたひとつの戦い方だった。
望美が同じように戦ってきたことも知っている。あらゆる時空で教え、導いた九郎も、皆未来をまっすぐに信じてひたむきに戦っていた。そのまっすぐさを支えるように弁慶が戦う様も見てきた。不器用に、けれど自分のできる手いっぱいで九郎を守りながら戦う景時を見ていた。ヒノエにはヒノエの、敦盛には敦盛の譲れないものがあり、戦い方があった。それまでの生き様と巻き込まれたこの世界の落差が最も大きかったろう譲も、リズヴァーンの目にするすべての運命の中で、けれど現実から目を逸らさず必死になって戦っていた。
助けられたからにはとその背に重すぎる荷を負い、刀を手に立ち回る将臣の覚悟は凄烈だった。あらゆる策を巡らせて、誰も予想しえなかった未来を引き寄せつつある知盛の瞳は深遠だった。その彼らの未来にいつか追いつくことを信じて生に縋りつくの背中は、濃艶だった。
誰もが、自分達の思い描く限りの平穏を求めて戦っていた。その未来を生きるために、信念を湛えて駆け抜けていた。けれど、誰もに誰もの戦い方があるように、目指す未来がほんの少しずつ姿を異にするから、決して大団円には至らなかった。その歯痒さがようやく昇華されようとしているのに、どうして新しい歯痒さに胸を焦がされなければならないのだろう。
勧められた円座と彼女の座す円座の距離は、彼女の無意識の限界を示している。無理を強いるつもりもないし、無茶をさせたいとは思わない。けれど、この何とも言えない距離を保った、何気ない会話の時間でさえ彼女にとっては戦いなのだと思えば、複雑な思いが胸に凝った。
彼女はもう十分すぎるほどに戦い、己の職分を存分に果たしたのに、まだ戦わねばならない。それが、彼女が願う帰還のために必要不可欠なものであることも知っていたが、本来ならば無用であったこのような時間が存在することが、切なくてたまらない。
他愛のない会話が途切れ、重苦しくはない沈黙が二人の間に横たわった。常ならばその時間はその時間として愛でるのだが、ふと思い立ってリズヴァーンは沈黙に言葉を投げ込んでみる。
「お前はなぜ、戦う道を選んだのだ?」
それは脈絡のない問いかけだった。それにしては滑らかに口をついたあたり、自分はもしかしてずっと彼女に問いたかったのだろうかと、動かぬ無表情の下でリズヴァーンは自問する。そして、その唐突な問いに何を思う様子もなく、はたと瞬いてからは嫣然と微笑む。
「決めたからです」
声は迷いなく、覚えのある響きを湛え、自身の原点を思い出さされた。やはりゆるりと瞬いて、リズヴァーンは声音が和らいでいることを自覚しながら「そうか」とだけいらえて今度こそ沈黙を愛でる。何気なく庭を見やる横顔は際立った美貌というわけではないけれど、ひどく美しいものだとはじめて思う。
由縁は明かされなかったが、別にはぐらかされたのでも隠されたのでもないと、理解する。彼女はまだ戦えるのだと知れた。それこそが知りたかったのだと、思い知ったのだ。
Fin.
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