朔夜のうさぎは夢を見る

気にすること

 宥めるようにやんわりと眦を和ませ、武骨な指が子供の手を傷めつけることのないよう力加減に気をつけながら、握り締めるものを日の下に晒す。そこには確かに当人の申告どおり、おそらくは必死の努力をかいくぐったのだろうへたれきった組紐が絡み合っていた。
 改めて自作のそれを見やり、知盛の膝に置かれた見本品を見やり。さらにしょげ返ってどんどん落ち込んでいく言仁のわかりやすい肩に、知盛はどうにも抑えきれなくなった苦笑をなんとか呼気に散らす。
「解くのをお手伝いしますので、今一度、初めからお試しになりますか?」
 そっと小さな手ごと掬い上げて正面から見つめれば、申し訳なさそうに見上げる相貌が「よいのか?」と自信なさげに問い返す。
「その、また失敗してしまうかもしれないぞ」
「言仁殿さえよろしければ、幾度だとて、お手伝いいたしましょう」
 どうせ、自分はまだまだこの作業を続けるのだと。笑い含みに示したのは膝から床に続く組紐。今の知盛は柄の握りをよくするために巻く紐を手ずから誂えているところであり、そこそこ以上に時間がかかる。手貫緒用の組紐を不器用にも一生懸命編み続ける言仁に最後まで付き合う間、さりげなくずっと隣で作業の手本を示し続けることは可能だろう。
「では、よろしく頼むのだ」
 胸を張ってそう言い放ち、ふと気づいた様子で慌ててちょこんと頭を下げる姿が微笑ましい。やはり誰かに見つかればきっと卒倒されかねない光景だったが、今日この場に限って、この少年は知盛の“甥”でしかないと宣言している。その切ないわがままを聞き届けてやれるほどには、知盛は自分の中にある非常識な豪胆さを自覚している。


 すっかり絡みあってしまった紐を丁寧にほどき、ならす様子をきらきらと見つめていた言仁が、さてと気合を入れ直して知盛と同じ方向を向く姿勢に戻る。どうせなら向きあってくれれば手元を盗み見るのもたやすいだろうにと思うのだが、幼い矜持がそれを許さないらしい。あくまで自立して行えるのだと、必死に背伸びをしながら横目にちらちら流される視線に、こそばゆい思いを殺して何気ない風を装うのはあたたかな努力だ。
「上手に作れるようになったら、知盛殿の分も作ってやるぞ」
 作業自体は単調であり、基礎的な動作はもう覚えられたのだろう。いささか頼りない手つきではあるが、たまに視線をよこす程度であとはじっと自分の手元に集中していた言仁が、ふと思い立った様子で顔を上げる。どうしても気になってしまい、ずっと隣の気配を探り続けていた知盛はもちろん、きちんとその瞬間に目を合わせることが出来ていたが、投げかけられた言葉は予想外のもので。
「重衡殿に、将臣殿の分もだ。皆の分を、作りたい」
「……帝に手ずから誂えていただいたとあらば、皆、心より喜ぶでしょう」
「だから、今は帝ではないのだ!」
 「まったくしょうがないなぁ」と、頬を膨らませて知盛の発言を訂正してから、言仁は動きを止めてしまった武骨な指に、そっと触れる。
「守られるのが、私の役目だと、重衡殿に叱られたのだ。でも、守られるだけなのは、ずるいと思う」


 あたたかくてやわらかな指先は、頼りなく、稚く。重衡がいったいどのような折にこの少年をそう諭したかは知らないが、双方の言い分にはそれぞれ正当性があると思う。誰がなんと言おうと、少なくとも平家は言仁を帝として戴いている。なれば知盛ら臣下が身命を賭して言仁を守るのは道理。そして、ただの臣下であるにはあまりにも言仁の身近に近づきすぎた知盛らに少年が懐き、位階を取り払った感性でその身を案じるのも、道理。
 それでも、幼いながらに言仁は己の立場を理解しており、これ以上の発言が知盛を困らせる以外のなにものにもならないことを察しているのだろう。ぐっと唇を噛んで俯いてしまった後頭部を見やり、知盛はやわらに息を吐く。
「楽しみにしていても、よろしいでしょうか?」
 それは、精一杯の譲歩。声がどこか苦く笑ってしまうのは抑えきれなかったが、子供の耳にはさほどの違和を与えずにすんだようだ。振り仰いできた表情が明るく輝くのを眩しく見つめ、知盛は「さあ、頑張ってしまいましょう」と話題をすり替える。
 わかりやすく手先に力の戻った様子にうっかり意識を奪われていれば、幼い声がさかしらげに「手が止まっているぞ!」と指摘する。
「あ、そうだ。今日、終わらなかったら、知盛殿に預けておいても良いか?」
 持ち帰って誰かに見つかって、取り上げられるのは嫌だと雄弁に訴える渋面を見下ろして、知盛はどうしようもなく笑う。
「どうぞ、お好きな際に、またいらしてくだされば」
「感謝するのだ!」
 言葉の裏に潜まされていただろう、当人の自覚の有無が読めない願いには、あえて触れずにただ許容する。それが精一杯の距離なのだということを、知盛は知っていて、言仁はわかっていた。

back.

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。