いずれ野に咲く彼岸花
事前に主から一通りの説明を受けていればこそ、力についてのわずかな説明と、それを欲された顛末のごくごく簡単なさわりでしかない説明をただ純粋に、ごく冷静に噛み砕いていたの見せた初めての感情のうねりに、色味の違う二種の視線が注がれていることに、けれど当人は気付かない。その片方が、ふと持ち上げられて責める気配を滲ませて剣呑に眇められたことにも、気付くはずがない。
「カンナギ。お前は、その手に剣を握ることを選ぶのか?」
「それが、わたしの選択です。あなたがわたしをこの世界に呼んだように」
あなたはこの世界を守るために。わたしはこの身を、そしてこの身に宿した決意を守るために。
唐突に話題を転換させられたことに戸惑わなかったと言えば嘘になるが、これ以上の詮索と質疑に、神が答えるとは思えなかった。神は告げる気がないのだ。
この世界に呼ばれたと、人ならざる力を与えられたと。そのことを理解するでもなく納得するでもなく、ただ受け入れるための手がかりになるだろう因果を明かしはするが、それ以上は明かさない。
理不尽だと思う心がないわけではなかったが、それこそが妥当なのだろうとも思った。神にとって、人の感情の機微はだってあまりにも軽微なもの。彼らは、世界の在り方、世界の動きに目は留めるが、その内で蠢き犇めくすべては世界への影響としての結果とならねば意味を持たない。だからこその神なのだろうと、胸の奥でかちりとはまり込んだのは、正負の色を持たない透明で絶対的な受諾だったから。
はたりと落とされたまばたきがひとつ。ふつりとこぼされた溜め息がひとつ。
「私にとて、お前をあの世界からこの世界へと招くのに、何もせぬままではあまりに哀れと思う慈悲はあったのだよ」
ひとり言のように呟いて、神はゆらりと指先を宙に遊ばせる。
「お前の身を護るために与えたつもりだったが、お前はアレを好まぬようだ」
指先に、光が燈る。闇の中に浮かぶ美しき白銀の光に、はすっかり日が落ちてしまっていることを初めて知覚する。
「お前がそうと定めたのなら、では、それをお前の力とするがいいよ」
言葉が放たれ宙に滲むのと、光が滲んで霧散するのは同時。言祝ぎであることはわかる。人外の力が行使されたことはわかる。ただ、何がどうなったのかが、わからない。
「私のカンナギ。我らの愛し子。我らはお前の選択を拒まない。我らはお前の選択を受容する。ゆえ、好きに選び、好きに生きるがいいよ」
「……矛盾を灼き滅ぼせと、そうおっしゃられたことを忘れて生きたとしても?」
「無論、許容するとも。神は定めるのではない。道を示すだけ」
皮肉と嫌みを込めたはずのの言葉に、神はいっそ穏やかな至高の微笑みを浮かべる。
「選ぶのはいつだって、お前達――ヒトの子の権利にして責務にして、業なのだよ」
ああ、それは既に聞いた言葉だ。だって、力は既にの身に宿された。揮うも揮わぬも、の心ひとつ。そう嘯いたのは、ひたすらに沈黙を貫いての隣に立ちつづける、誰よりも世界を広く、鋭く俯瞰している稀有なる刃。敬愛する主。にとって、何よりも明確な、この力を捧げたい衝動にして渇仰の向かう先。
「そこな影にも言うたのだがな。生きれば良いさ、カンナギよ。我らの思惑なぞ、お前達は歯牙にもかける気はなかろう? それで良い。思うように、悔いを抱え、引き返せぬただひとつの道を、這ってでも生きればそれで良い」
すべて、定義するのは人の業。我らは処断せぬ。我らは赦しもせぬ。ただ見守り、受け入れるのみ。かくな例外、かくな気紛れもあるが、我らは基本、人の世には不干渉であるものよ。だが、いや、だからこそ。
「そして我らに示しておくれ。ヒトがヒトとして生きる、その惨めながらも凄艶なる輝きを。我らはそれがいかな道行きであろうとも、最後まで必ずや見守っている」
示されたのは至高の慈愛だった。少なくとも、はそう感じた。神には神の、世界には世界の、そして人には人の思惑がある。に思惑があるように、主にも思惑がある。そうして世界は回っている。そうして世界を回す力として、自分が少しばかり珍しい要素を付加されたという、それだけのこと。
「世界とお前達との因果は、あまねく命のそれと比べてあまりに深い。だが、だからと言って責を押し付けるつもりはないよ。押し付けずとも、お前達は既に負っている。それを果たすことを投げ出さぬお前達だからこそ、私が与えずとも、お前達は責を果たす」
「わたしが、わたしの道を歪める必要はないと?」
「お前がお前の選んだ道を貫くことこそが、世界との因果を果たすこと。その土台を知りたいと願うから語っただけだ。そも、神とはヒトの生きる道に介入はしないもの」
そっと微笑み、神はその言葉に思わず肩から力を抜いた己の神子から視線を剥がす。
視線が向かった先は、沈黙を守り続けていたの主。表情が削ぎ落とされ、けれど確かに張りつめた横顔は彫像のようで、生気の無さが美しさに拍車をかける。
「お前はだって、私のカンナギであることよりも、そこな男の鞘であることをこそ芯として生きるのだろう?」
唐突な指摘は過たず核心を突いていたが、はいそうですと肯定するにははまだ自信を持ち切れずにいる。思わず口ごもり、けれど否定はしたくないから「そう、在りたいと思います」ともごもご呟いた声はくぐもってしまったが、人気のない神域の森の静寂はその声が拡散することを遮らない。
「いいのだよ、それで。ただ、そのために揮い得る力の可能性が徒人より多いと、それさえわかっていればいい」
仄かな微笑の入り混じった声と眦が、そしてに引き戻される。
「往けばいい。お前達の定めた道を、お前達の持ちうるすべての力で切り拓きながら」
「与えていただいた加護も、焔も、わたしが定めて揮えばいいと?」
「ああ、その通り。そのために私はお前を呼び、お前に私の加護と力を与えた」
我らはすべてをただ見守り、我らはそれによって世界の行く末を知る。それだけだ。
告げられた言葉に、は理解する。ああなるほど、自分は駒なのだ。自分も、主も、見知っている人々もそうでない人々も、皆。神は駒を動かしはしない。よほどのことがない限り。そして自分は動かされた稀有な駒。動かされるにあたり、きっと動かされることの意味として力を与えられた。この力は、この世界が未来へと邁進するにあたって、きっとどこかしらで必要とされる。その潮に自分が立ち会えるか否かは、自分が選び取り、切り拓く道故に。
「さあ、もうよかろう? 私は戻るよ。必要があらば、呼べばいい。こうして社に赴かずとも、その声さえ届いたなら、私はお前達に声を届ける」
「――ありがたき、ご温情と」
神の輪郭が滲みはじめる。それに伴って、声も遠くなる。見慣れぬ現象に思わず目を見開いてしまったの隣から、どこまでも平素と変わらぬ、けれど確かな畏怖と謝念に濡れた声が、立ち去ろうとする神を送る。
「……わたしは、わたしの道を往き、わたしにできる限りのことをなそうと思います」
だから、も神を送るための言葉を選び出す。できるなら、もう二度とかの存在を呼び立てることはない方がいいのだろう。そのためにも、自身の力を知り、自身の道を往かねばなるまい。思うように、悔いを抱え、引き返せぬただひとつの道を。這ってでも。
神が最後に残したのは、底知れぬ慈愛の気配だった。何に対してと、問われれば言葉に詰まる。それでも必要だと思って、最後の最後に「ありがとうございました」と凛と紡いだ。それを認めた瞬間の瞳のぬくもりは、神の慈愛とはこういうものなのだと、夢想しつづけたそれを凌駕するほどのものだった。
だから、それでいい。因果は理解した。力は世界に必要とされたもので、けれど揮うも揮わぬも己の裁可にかかっていると判じた。要するに、道を歪める必要はない。これまでのように、これまで以上の覚悟と誠意をもって、道を全うすること。それこそが神が求めたことであり、神が認めたことだった。それがわかったのだから、それでいい。
いつの間に取り落としたのか。ふと屈みこんだ主が持ち上げたのはの笠。何気ない風でついてしまった埃を払い、問答無用で頭に乗せられる。
「道は、好きに選べ」
呟きにも似た言葉は、言祝ぎにして赦しにして助言。あなたの鞘になると。その誓いさえ、必要とあらば振り切ってでも進めばいいのだという。
「ただ……悔いてもなお、振り返るなよ」
はっと振り仰いだ先。虫垂れ布の切れ目から降り注ぐ主の視線の透明さと力強さに、自然と背筋が正される。
「悔いてなお、歩み続けます」
きっとそれが、この人の強さの根本であり、美しさの原点なのだろう。そして、裏切られることを何よりも唾棄する価値基準。
「いかな力を用いようとも、定めた道を、最後まで」
ひたと視線を据え返し、宣するのは覚悟と矜持。神なる存在にまで許容されたのだから、もはや力の行使そのものに怯む必要などない。恐るべきは、己が内に潜む臆病風。弱気になり、中途に投げ出してまで逃げ出そうという思いがほとばしる可能性。
ふっと口の端に笑みを滲ませ、くるりと振り返って主は来た道を戻る。神域に、しかも己を加護する神の御許で重ねて誓ったのだ。だから、これでいい。どうやら上機嫌な様子の広い背中を追いかけ、は思う。だってそれしかできないのが人の身。それゆえにきっと神は、人に可能性を託したのだろうから。
(私は譲らない。私は立ち止まらない。)
(神よ。私を愛し子と、そう呼んでくれるのなら、ねぇ)
(この身が拓くだろう血にまみれた荒野にどうか、恵みの雨を齎して)
いずれ野に咲く彼岸花
(この身が朽ちたその後に、艶やかなる曼珠沙華の糧となるように)
Fin.