朔夜のうさぎは夢を見る

彼らの覚悟

 待ちわびていた情報が入ったのは、ヒノエが神子達との食事を終えて自邸へと戻った後のことだった。ようやく知盛の許に還内府が合流したと聞き、たばかられていたわけではないのかと安堵すると同時に、詳細を求めて眉根を寄せる。
「緋糸縅の鎧に、大太刀?」
 還内府と思われる男の外観の特長には、なにやら思い当たる節があるのだ。
 確かに怪しかったし、勢力としては源氏よりも平家に属する者だろうとは思っていたが、まさかよもや、当人だというのか。だが、それにしては辻褄が合わない。彼は遠い月の都よりの客人。そして彼は、遠い泉下よりの迷い人なのに。
 つらつらとあらゆる可能性の狭間で思考を泳がせながら、しかしそれならば辻褄が合うとも思う。彼が還内府であるならば、捕縛されてよりこちら、平家との繋ぎを一切取る隙のなかったはずの彼女が熊野への還内府の訪問を確信していたことにも説明がつくのだ。
 眉間に皺を寄せてしばらく悩んでいたヒノエは、最終的にその思索を投げ出すという結論を下すに至った。思い悩んでも仕方ない。事実は揺るぐものではなく、そしてその事実を確かめるのは、明日のことなのだ。


 指定の時間通りに本宮に姿を現したのは、やはりヒノエが思い描いたとおりの男だった。
「はるばる、ようこそ参られた。還内府殿、新中納言殿」
 略式の礼装の裾を捌いて上座へと腰を下ろし、かしこまった声音でそう儀礼的に歓待の言葉を述べれば、片や驚きに染まって大きく見開かれた双眸が、片や双方の驚愕を面白がる眇められた双眸がそれぞれに返される。
「別当殿におかれてはご健勝のご様子とお見受けし、まずはお慶び申し上げる」
 どうやら衝撃は想像以上に深かったらしい。ある程度の予想をつけていたヒノエとは対照的に、ただ呆然としている将臣をよそに、ふと表情を改めた知盛が慇懃に礼を執って口上をのたまう。
「また、ご多忙の中、かような席を用立てていただけたそのご温情、深く感謝申し上げる」
 言って深々と頭を垂れる姿は実に様になっており、さすがは宮中を渡ってきただけあると感心する。そして、そんなヒノエの視線の先では、今度はそんな知盛の口上と所作とに驚いたらしい将臣が唖然と己の隣を見下ろしている。だが、さすがに今度の驚愕には何がしかの免疫があったのだろう。慌てて同じように頭を垂れ、あらかじめ仕込まれてでもいたのか「御礼申し上げる」と知盛の弁に追随した。


 決して卑屈ではない、けれど挨拶に用いるものとしては最大限の礼儀を尽くしていると判じられるほどの時間を置いてからゆったりと背筋を伸ばしなおし、衣擦れの音を聞いてやはり顔を上げた将臣を待ってから知盛は平家の嫡流としての表情でヒノエに相対する。しかし、率先して口を開こうとはしない。代わって口を開いたのは、還内府としての表情を浮かべた将臣。
「……お前が相手なら、取り繕っても仕方ないしな。このままの言葉遣いでいかせてもらうぜ」
「どうぞご自由に。オレは、形式よりも中身を聞きたいんだしね」
 少しばかり困ったようにはにかみ、口調を一気に崩した将臣に倣って同じく口調を崩し、しかしヒノエは鋭さを失わせない瞳で、切り出される内容を待ち構える。
「俺は、この戦をさっさと終わらせたい」
 単刀直入に、何の前置きもなく将臣はその心の奥をヒノエの前に放り投げてみせた。
「和議を結んで、それで終いにしたいんだ。だから、そのために熊野水軍の力が欲しい」
「和議を成したいのに、兵力が欲しいのかい?」
「今のままじゃ、俺らが何を言っても院も鎌倉も動かせねぇ。けど、熊野が動けば別だ。平家は元々海戦が得意なんだ。ここでさらに熊野を擁せれば、俺らの言葉を無視できなくなる」
「兵力を増強したんなら、そのまま源氏を滅ぼせばいいじゃんか」
「それじゃあ何も変わらねぇんだよ」
 ぴしりと言い切って、将臣は眼光を強めてヒノエを見据える。


 九郎達と同行している間に聞いた話では、将臣は平家に拾われて約四年といったところだろう。まして、将として戦場に立ち、還内府と呼ばれるようになったのはこの一年とみていい。経験では九郎に圧倒的に及ばないだろうに、その瞳は九郎のそれに一歩もひけをとらないものであった。
 なるほど、平家の連中がこの男を担ぎ出し、希望を見るわけだと。何の含みもない納得を得ながら、次いでヒノエが見やるのはその隣に控えるもう一人の男。還内府の名が聞こえるよりも前、重盛が死に、宗盛が死んだ後。ほんの短い時間とはいえ、平家総領としてその才腕を揮った男はしかし、今はただ一郎党の表情で黙って還内府の言に耳を傾けている。
「恨みは恨みを呼ぶ。俺が欲しいのは一時の平穏じゃなくて、一門の連中ができるだけ長く、安心して暮らしていける場所なんだ」
「へぇ?」
「恨みを残したら、頼朝の二の舞だ。だから、そうならないように、この戦を戦わずして終わらせる形が欲しい。それには、和議しかない」
 揺るぎない意思を宿した瞳が見据えているのはヒノエだったが、見つめているのは未来だった。恐らく、誰もが夢物語だと笑い飛ばすだろうあまやかな綺麗事を、誰よりも真剣に、誰よりも具体的に、誰よりも強い思いで見つめている。夢を現実にしてみせる覚悟を燈した、いかな嵐にも吹き消されることのないだろう、それは炎。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。