ねむれるこちょう
そうして辿りついた川辺にて対峙した怨霊の擬態をあっさりと見破り、危なげなく封印をしてのけた望美を最前線で守っていたというのに、本宮まであと一歩のところで、将臣はそれまでと変わらない調子で「じゃあ、俺はここまでだな」と切り出した。
「楽しかったぜ。サンキュな」
「お前、この後はどうするんだ? 用件の邪魔をするつもりはないが、京に戻るなら、お前のことを待っていても構わんぞ?」
「そもそも、兄さんは自分が先輩を守る八葉だってことをもっとしっかり自覚しろよ」
「あー、とりあえず、ひとりずつにしてくれ」
あっけらかんと浮かべられた笑みに悪びれた様子はなく、しかし畳み掛けられた九郎と譲からのそれぞれの言葉に、将臣は眉根をわずかに寄せる。
「まず九郎だけど、待たなくていい。俺、これから人待ちも兼ねてるしな。世話ンなってる人も、京にはいないし」
「そうか……」
「悪ぃな。気持ちだけありがたく受け取っとく」
「いや、いいんだ」
「で、譲」
心底申し訳なさそうに軽く目礼を送り、継いで将臣は憮然としている弟を見やる。
「前にも言ったろ。悪いとは思ってるけど、俺はあの人達を見捨てるほど恩知らずにはなれねぇんだよ」
「けど――」
「譲くん、ありがとう。でも、私はみんながいるから大丈夫だよ」
複雑な表情で言葉を継ぎかけた譲を遮り、笑ったのは当の神子たる望美だった。
ぱっと視線が集中する中、望美はまっすぐに将臣を見据え、いっそ清々しく笑ってみせる。
「将臣くんは、その人達のことが放っておけないんだよね」
「まあ、な」
「じゃあ、無理にとは言えないよ。だって、将臣くんってそういう人だもん」
ね、譲くん、と。同意を求められた譲は、目を見開いた後、今度は諦めよりも納得の色濃い溜め息を深々と吐き出す。
「……片付いたらすぐに戻ってくるんだろうな」
「おう、それは約束する」
最後の譲歩だろう弟にしかりと真顔で頷き、それから将臣はにっと笑って踵を返した。
「じゃーな。また会おうぜ」
「うん。またね」
「そうだな。道中気をつけろよ」
後ろを向いたままひらひらと手を振り、そして将臣はあっさりと人手の多い通りへと紛れていった。
その背中が見えなくなるまで見送ってから改めて本宮へと足を向けた一行の中で、は決して周囲に気取られないよう、慎重に息を吐き出していた。どうにかこれで無事に帰ってくれるだろうと、そう確信したと同時に、どれほど自分が今まで気を張っていたかを思い知らされたのだ。
「殿? どうかしたの?」
「無理はいけませんよ」
自覚してしまえば、ぐったりと落ちる肩はもはや隠しようもない。すぐさま気づいた隣を歩く朔に続けて、目の前を歩いていた外套の背中が振り返る。柔和な、気遣わしげな瞳がじっと注がれるのを、はきつと睨み返した。言葉と表情を裏切る凍てついた光が、一見穏やかな双眸の奥で踊っているのを見逃さなかったためだ。
「きっと、いろいろあってお疲れになったのですね」
「いえ、大丈夫です」
「だが、顔色はあまり良くないようだが」
気丈に返したの顔にかかる影があり、思いのほか至近距離から覗き込む、こちらは紛れもなく気遣い一色に染まった瞳。見上げて反射的に息を呑み、後ずさった肩を朔が優しく抱きとめる。
「九郎殿」
「あ? ……ああ。すまない」
咎める響きを篭めた朔の呼びかけに、一瞬怪訝そうな表情を浮かべ、しかし九郎はすぐさま頷いて半歩足を引いた。空いた距離に無意識にこぼされた溜め息には、それぞれ複雑な視線がちらと向けられるが、跳ね上がった鼓動を宥めるは気づかない。
いつの間にやら全員の足が止まっている。それをぐるりと見渡し、そして解決策を提示したのはヒノエ。
「とにかく先に進もうぜ。本宮に着いたら宿を手配してやるよ。ちゃんはそこでゆっくり休めばいいじゃん?」
「ああ、それがいいね。そういうわけで、もう少し我慢できるかな?」
「お気遣い、痛み入ります。本当に、大丈夫ですので」
「その、無理はされない方がいいと、思い……思う」
景時の追従にせっかく首を振ったのに、そっとかつての主家の公達にまで気遣われてしまっては、の立つ瀬がない。敬語を使おうとしたらしい敦盛にせめてと思って瞳で懇願を送れば、ゆっくりと、たどたどしく言葉遣いが直される。
「辛くなったら言ってね?」
「ええ、ありがとうございます」
頑として譲らないに諦めたのか、望美の声を合図に一行は再び足を動かしはじめる。途中、どこかしらで穢れを拾ったらしい敦盛が結界に弾かれるという予想外の事件はあったものの、望美に手を引かれることによって無事に解決を得、全員が無事に本宮の一角へと通された頃には、既に日が傾きかけていた。
Fin.