さざめくしじま
源氏であろうが平家であろうが、兵を抱えて戦を起こす以上、やることなすことは似通ってくる。武勲を立てた兵を厚く賞すなど、戦後処理をこなすという点ではなおのこと。兵の士気をいかに保てるかは、この戦後処理に大部分がかかっているといっても過言ではないのだ。
九郎の不満と景時の不安を大いに孕んではいたものの、敦盛の扱いは望美の希望どおりとなり、平家の公達という立場を一切無視することで決着をみることとなった。一方の月天将については鎌倉の沙汰待ちということになり、移動時は荒縄で両手を背中に縛り上げ、京に戻ってからは六条堀川の敷地内に設けられた牢に勾留という形で落ち着いている。
傷のため意識がなかったのははじめの二日間のみであり、移動の最中に馬上で意識を取り戻した娘は、誰に説明されるでもなく冷静に己の境遇を察したのか、大人しくなされるがままとなっていた。それでも、決して周囲に媚びたりせず、傷の痛みを堪えながらだろうに凛と背筋を伸ばして顎を引き、弁慶が自ら言葉巧みに誘導しようとも、遣り取りには応じるものの情報の類は一切洩らそうとしない。見上げた忠誠心だと匙を投げ、次なる搦め手のための敦盛との腹の探り合いが、最近の弁慶の日課である。
「それにしても、意外に我慢してるね」
すぐにでも薬を使うと思ったよ。軽やかな口調で物騒な単語を紡ぎ上げ、いっそ妖艶にヒノエは笑う。六条櫛笥小路は梶原邸に設けられた、弁慶の私室をおとなっての言葉である。
「いつもはもっと派手にやるんだろ? どうしたんだよ、こんなの手ぬるいって、兵達が噂してるぜ?」
「ただ手酷く扱えばいい、というわけにもいきませんからね」
ごりごりと薬草をする手は止めないまま、弁慶は溜め息混じりに問答に応じる。
「傷がまだ完全には癒えていません。どうやら瘴気も受けたようで、治りが遅いんですよ。そこに治療以外の薬を使えば、どうなるかわかりませんから」
迂闊なことはできないのだ。今は、まだ。そう続けて弁慶は淡々と言葉を重ねる。
「それに、これまで話をしてみて思ったのですが、敵方ながら本当に良い将ですよ。己の立場をきちんと理解しています。薬を使ったところで、情報を吐いてくれるかどうか」
「そこを吐かせるのが、アンタの腕の見せ所なんじゃないの?」
「時には手の施しようのない相手もいるものです」
笑い混じりの揶揄はあっさりと受け流し、ようやく弁慶は顔を上げる。
「平家から捕虜の交換を打診する文も届いています。恐らく、鎌倉にも同じものが送られているでしょうね。となると、先日の沙汰がどう覆るかもわかりませんし、丁重に扱わざるを得ないんですよ」
九郎のしたためた報告の文書を携えた景時が京を発ってより既に一月半。敦盛の一件は返事に急を要することもあり、ついでに伺いを立ててもらった月天将の処遇については、早馬で沙汰が届けられている。いわく、何かと鬱憤が溜まっているだろう兵達の慰み者としてでもうまく使え、とのこと。
無位無官の、出自さえ定かではない小娘のひとり、わざわざ詮議に回すほどのことはないとの判断だろう。それはもっともだと思う一方で、還内府の名でしたためられた捕虜交換を求める文は、娘を一介の将と見なすことに躊躇いを感じさせる。扱いあぐねている、というのが弁慶の偽らざる真情なのだ。
完成した塗り薬は、それこそ月天将のために用立てたものだった。いずれにせよ、敷地内に留め置く以上、傷を通じて妙な病になど罹ってもらっては困る。適切に処置を施し、適うならそのことに感謝の念でも抱いてもらって、情報を吐き出させる一助にしておきたい。
朝餉が終わった頃合を見計らって牢を訪ね、治療のついでに腹の探りあいとしか言えない言葉を交わす。既に習慣と化したそれの前に、こうして梶原邸を訪れて白龍の神子達と朝餉を共にし、その健康状態を気遣うのもまた弁慶の日課。さてでは僕はそろそろ、と、そう言って弁慶が腰を上げるのと、ひょいと眉を上げたヒノエが濡れ縁の向こうへと視線を投げるのは同時。
「弁慶殿! 弁慶殿はおられますか!?」
ばたばたと足を鳴らし、庭先に慌しく駆けてきたのは景時に仕える郎党の一人だった。確か、六条堀川の警護を預かっていたはずだ。
「ええ、いますよ。何かありましたか?」
尋常ではない様子にひょいと顔を出した弁慶に、郎党は大袈裟なほど表情を緩め、しかしすぐに深刻な様相で膝をついて口を開く。
「疾く、六条堀川においでください。夜警の者が手を抜いたらしく、牢の月天将が、その、狼藉を働かれたご様子と知らせが……ッ!」
急くように告げられた口上に、表情を険しくしたのは弁慶もヒノエも同様だった。
それぞれに短く息を呑み、そして弁慶は「わかりました」と応じて足を踏み出し、ヒノエはそれに対して礼を残してから去っていく郎党の背中もろとも無言で見送る。
「……ま、妥当な扱いなんだろうけど」
言葉尻が濁ったのは、その妥当さを歪める可能性を、件の娘が存分に孕んでいたからだった。生まれも血筋も明らかではない小娘ではあるが、相手は敵方にも勇名を轟かせる将。いくら戦場にて囚われた女がそういった扱いを受けるのが常とはいえ、くしくも弁慶が嘆いたとおり、相手はあまりにも特殊かつ微妙な立場の存在なのだ。
「さて、何が出るかな」
名のある将でありながら、そのような扱いを施したという醜聞が立つか。女だてらに太刀を握っていたのだから当然という風潮になるか。抵抗さえしなかったらしいその潔さを讃える声が上がるか。あるいはまったく別の流れが生じるのか。
いずれにせよ、古式ゆかしく形式にのっとった戦をあくまで貫く姿勢といい、捕虜とした将への待遇といい、いわゆる“古き良き”を重んじる平家の心象が悪化するのは必至。それが、戦意の低下として表れるか、上昇として表れるかは読みきれないが。
うっそりと笑い、ヒノエは背を預けていた柱からふらりと立ち上がって足を踏み出す。時流はあまりにも見事な大義名分を得た源氏に向いているようでいて、実のところ混沌としている。どんなに些細な出来事でも、そこから派生するだろう流れを見誤るわけにはいかない。
「あ、ヒノエくん!」
「やあ、姫君。ちょうど良かった。オレはこれからちょっと野暮用があって、今日の散策に一緒に行けないんだ」
身繕いをしていたらしい望美を奥の部屋に見出し、申し訳なさを刷いた苦笑を添えて告げれば、いかにも残念そうな声で「そう。じゃあ、仕方ないね」と返される。
「悪いね。この埋め合わせは、必ずするから」
「ううん。ヒノエくんにはヒノエくんの事情があるもん、仕方ないよ。気をつけてね」
「ああ、ありがとう。姫君も、傷なんか負わないよう、気をつけるんだよ?」
「うん、ありがとう」
あっさりと受け入れるその笑みはすべてを諒解しているようで、ヒノエはその態度に、懐が広いのか、あるいは何か知らせていないことさえ察しているのかと胸の底で燻る疑問を押し殺す。ともかく、堂々と八葉としての勤めを休む名分を手に、向かうのは六波羅のねぐら。今日あたり、これまでに熊野別当宛に届いている諸般の情報を携えた烏が京に入る予定なのだ。
Fin.