おわりのはじまり
酒の切れ目が話の切れ目とばかり、中途半端なところで説明を途切れさせた知盛を通じて正式な挙兵の命が下ったのは、それから四日後のことだった。還内府を総大将に、副将を惟盛と経正。終始どこか不機嫌だった知盛は、重衡や忠度と共に福原の警護に残るとのこと。
他にも手が空いている将はいたが、今回の挙兵の目的は攻めることではなく守ることにある。ゆえこその確実性が欲しいのだと、ありとあらゆる可能性を考慮し、福原周辺の生田や一ノ谷に念のための陣を敷く方へと割り振られている。
改めて邸を訪れた将臣から策の内容と己の役割の説明を受け、ははじめて、知盛のいない戦場へと足を向ける。
「おっ、知盛。見送りか?」
珍しいこともあるな、と。軽やかな笑い声が上がるのを聞き、は馬具の調子を確かめる手を止めて音源を振り返った。
「皆々出陣するというに、俺ばかりは留守居……。お戻りになられるまで、ゆめゆめ怪我なぞなされぬようにと、釘を刺しに、な」
「なんだよ。八つ当たりの相手が無事に戻ってくるようにってか?」
「これは心外。……この知盛、心より兄上のご無事を祈念いたしておりますのに、お分かりいただけぬとは、まったくもって無念極まる次第にございます」
「あー、はいはい。わかった。次は必ずお前にも頼むから」
「……違えるなよ?」
出発前だというのに常とまるで変わらない軽口を叩き合い、それぞれの遣り方で緊張を解す大将二人の姿に、打ち揃う兵達の間からも過剰な神経の張り詰め具合が払拭されていく。あっという間に色味を変える空気に、は改めて、将という存在の大きさを思い知らされる。
ついと、気紛れのように視線を流した知盛が、少し離れた場所に立っていたに目を留めて小さく顎を引いた。呼ばれているのだと察し、愛馬の手綱を引いたは道を開ける兵達の間を歩く。
仮面越しに見やる主は、惑わされもせず真っ直ぐにの瞳を覗きこんできていた。見えているはずのない表情を見透かされているようで、緊張に背筋を強張らせたことさえばれたのか、深紫の双眸がやんわりと愉悦に滲む。
「あまり、力みすぎるな……常のごとくあれば、それで良いさ」
そして、そのまま低く紡がれた助言とも励ましとも取れる言葉に目を見開いてから口元を綻ばせ、は素直に「はい」といらえた。
声音から表情を読み取ったのか、対する知盛もまた薄い唇を弓なりに吊り上げ、それからすっと息を吸う。
「還内府殿を、よくお助けするよう」
「かしこまりまして」
「しかと励め――武運を」
じっと様子をうかがっている兵達に見せ付けるよう、公の場や軍場で使う平家嫡流の中納言にして知勇兼備の僥将としての姿で、知盛は朗々と告げる。注がれる視線に畏敬や憧れといった熱が孕まれるのをまざまざと感じながら、もまたその思惑に沿い、膝を折って言葉を押し戴くことで自分の後ろ盾となる存在を広く知らしめる。
月天将は知盛が深く信を置く腹心の将なのだと。流布される噂を裏付けるがごとき主従の演出を馬上から微笑ましげに見つめていた将臣は、さざめく気配が抜けきらないところにさらに声を被せる。
「出るぞ!」
一語、短くも強く発された命にさっと身を起こし、鮮やかな体捌きで白馬に飛び乗ったが、経正や惟盛に倣って将臣の背に馬脚を進める。
「知盛、留守を頼むぞ」
「御意……。ご武運を、還内府殿」
「ああ、勝って戻る」
凛と張られた総領の声に兵達が雄叫びをあげて応え、一同は移動を開始した。
事前の打ち合わせに従って、途中で怨霊兵の部隊を率いて三草川へ向かう惟盛と別れ、還内府率いる平家の本隊は無事、鹿野口に到着した。陣を整えてからさほど日を置かず斥候から入った報告によれば、山ノ口の擬装陣地も予定通り完成し、対する源氏勢は三草山を川越しに睨む馬瀬に本陣を敷いているとのこと。これまではすべて、将臣の事前の読みどおりの流れである。
「兵の数におきましても、お味方の優勢にございます」
「よし、わかった」
陣幕の内で経正とを背後に、斥候から京に残っていたという源氏勢の後続部隊までが馬瀬に揃ったとの口上を聞き終えた将臣は、不敵に笑って言葉を返す。
「やつらは必ず今夜中に動く。それまで逸るなよ。しっかり見極めて、伝令を遅らせるな」
「はっ!」
その命こそが、今回の作戦の成否を分けるものである。いたるところに潜ませた斥候によって源氏勢の辿るルートを確定し、確実に罠を仕掛け、別働隊を正確な待ち伏せ場所へと導く。そのために割いている人員は単なる伝令用の人数と考えるには非常識なほどであり、幾度にも渡って将臣が直々に情報伝達の迅速さと正確さの重要性を説いている精鋭。
深く頭を下げて再び持ち場へと戻る背中を見送ってから、将臣は作戦の成功を確信する智将の貌で、控えるに今のうちに休んでおけと告げる。
「俺らはともかく、月天将には、相手が動き出したら早速、山頂か山裾か、どっちかの連中が合流するからな。今夜は徹夜だと思うし、何かあったら呼ぶ。日が沈むまではとにかく体を休めといてくれ」
「承知いたしました」
どれほど剣技を磨こうとも、男女の体力差ばかりはどうしようもない。夜通し馬を駆った経験はあるし、夜戦も初めてではないが、だからこそ将臣の忠言が正しいことをはわかっている。素直に応じて会釈を残し、仮眠を取るため、陣幕の最奥に設けられた休憩用の一角へと足を向ける。
Fin.