朔夜のうさぎは夢を見る

えらぶみち

 還内府の称号と共に実質的な平家軍の指揮権を手にした将臣だったが、実戦の経験は知盛や重衡たちに遠く及ばない。酷似した歴史を踏襲した先を生きたものとしての知識を総動員し、起こりうる場面を想定して突飛な発言による提案を示しつつも、しかし実質的な策は歴戦の将たちとの綿密な話し合いによって練り上げられている。
 木曽義仲と鎌倉方との身内争いを尻目に西国へと退き、じっくり立て直した戦力は決して脆弱なものではない。後世に言う水島の戦いにおける快勝の勢いをそのまま、室山の戦いを順当に勝ち進み、次に睨むは宇治川の戦い。将臣が、知盛いわくの「酔狂な戯言」によって予言した、時流を占う非常に重要な戦いである。
 各地に放っている間諜の報告文書をずらりと並べ、軍議の席を囲むのは将臣を筆頭に、平家の大将格。その中でも、還内府たる将臣の正体を知る平家中枢の重鎮によるそれこそ少数精鋭の代名詞たる面々。
「して、いかが見るかな還内府殿」
 まだ日も高い内から邸の奥に篭もり、まず口火を切ったのは一門における最熟練者たる老練の武将である。
「ここまでは順調です。西国は陸海共に押さえましたし、兵の士気も高い。それに、犠牲も想像以上に少ない」
 言ってなぞられたのは、車座の中央に置かれた精緻な地図。辿るその道筋は、まさに彼らが踏破してきた勝利の道。屋島で止まったその指が、ふいと飛んで次は京を指し示す。
「予想通り、義仲は院に見限られ、脱落者も激しいと聞きます。また、義経も義仲追討を命じられたとか」
「間諜に留まらず、その情報はあちこちから聞こえてきますね」
「九郎義経……あの幼子が、陣頭に」
 将臣の言葉を補うように、それこそ義仲軍を離脱して平家に寝返ってきた兵たちからの情報を纏めた紙を片手に重衡が頷けば、苦りきった表情で経正が呻く。
「過日を思っても詮無きこと。我らのとるべき道は?」
 しかし、郷愁に浸るいとまはない。あっさりと割り切った調子で続けた忠度は、じっと試すように将臣を見据える。
「これを機に、一気に福原まで戻ります」
 戦場にあって多くの敵兵を慄かせてきた歴戦の勇将の鋭い眼光に一歩も退かず、ひたと見返した怜悧な眼差しは、策謀を巡らせる老獪な智将のそれだった。


 合議を終え、三々五々に部屋を後にする面々に混じってふらりと廂に足を踏み出した知盛は、背中からかけられた呼び声に胡乱な表情で振り返る。
「何か、還内府殿?」
「頼みたいことがあるんだ」
 これから時間を取れないか、と。声を潜めて問いかける双眸は静かな光を湛えている。そも、呼称に何の反応も示さないということは、“そういうこと”だ。ならば、知盛もまた黄泉より還りし小松内府、平重盛公の言葉に応じる平家の郎党として振舞わねばならない。
「承知しました……場所は?」
「月天将にも話がある。お前の邸に邪魔していいか?」
「なれば、参りましょうか」
 ゆるりと頷いて踵を返し、知盛は将臣を導くようにして先を行く。
「今日は随分と大人しかったじゃねぇか。調子でも崩してんのか?」
「……別段、口を挟む必要もないと判じたゆえ、黙していただけだが」
 言ってちらと目線を流し、直衣姿もすっかり板についた総領に小さく笑う。かつては、指貫をはいて歩くたびに、つんのめっては隣を歩く人間や柱に掴まっていた。そんな情景を懐かしいと思い返すほどに、将臣は深く平家の懐に入り込んでいる。
「なんだ、いきなり笑い出すなよ。気色悪ぃ」
「これは、失礼を。随分と立ち居振る舞いも板につかれ、ご立派になられたものだと……この知盛、いたく感激を覚えました次第にございます」
「だから、そういうのをやめろってば!」
 低く言葉を交わし、笑いあいながら歩む平家の二人の大将を、家人達はそれぞれ心酔の眼差しを向けて遠巻きに眺めやっている。清盛が蘇ってよりこちら、少しずつ蒔いて歩いた種が都落ちを経て鮮やかに芽吹き、そして着実に育っている成果が、そこにはある。


 他愛ないことで笑いあい、隣り合って歩む姿を堂々と見せつけていた将臣は、辿り着いた知盛の曹司の御簾奥に入り込むや、肩をがっくりと下げて大袈裟なまでの溜め息を吐き出していた。
「つっかれたー」
 部屋の隅に積んであった円座を勝手に持ち出し、人数分を適当に敷いてから手近なそれに腰を下ろす。ついでに上体を倒して天井を見上げ、ぐっと大きくのけぞってから元のように座りなおせば、心得たもので、茶湯を掲げたがちょうどやってきたところだった。
「お二方、お疲れ様でした」
「お、胡蝶さんナイスタイミング」
 主と客人とに椀を渡し、自らも残された円座に膝をついては笑う。
「将臣殿は、カタカナを使うのを本当に忘れませんね」
「覚えのいい生徒もいることだしな」
「……それは、俺のことか?」
 憮然とねめつけた知盛にあっけらかんと笑い返し、将臣は茶を啜る。知盛の邸は、今の将臣にとっては数少ない心から寛げる貴重な空間だった。遠慮なく肩から力を抜き、しばらく脱力状態を満喫してから、話を待って静かに控えている二人の同胞へと目を向ける。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。