かいなをのべて
和議の当日は、実に見事な快晴が広がっていた。すべてを見届けるまではまだ龍脈に還らないでほしいと願った望美に応えていまだ人の姿を保ち続けている白龍は、天地がこの和議を祝しているのだと笑って告げた。
「こんなにも世界中が喜びに満ちているのを、私ははじめて見るよ」
神泉苑に設けられた舞台で執り行われた儀式は粛々と進み、見物に訪れた京中の人々の目の前で、源平両家の争いを和議をもって終焉となし、今後はそれぞれに朝廷に仕えていくことが宣される。細かな取り決めをはじめ、政治的な駆け引きや取り引きの一切を覆い隠した、それは民衆のための舞台劇のようなもの。だが、そういう見せかけこそが上に立つものには必要なのだと、ヒノエは笑っていた。
「神子が取り戻してくれた調和だね」
「私だけの力じゃないよ。みんなが助けてくれて、それで、みんなで手に入れた平和だよ」
苑内に設けられた休憩所の簀子縁で真っ青な空を見上げながら、望美は白龍と穏やかに言葉を交わす。
「このまま、最後までうまくいけばいいんだけど」
思わず溜め息をつきながら、望美は最後の懸案事項を思う。
和議は成った。こうして儀式も執り行われ、今は両家の捕虜が交換されている頃だろう。さらに三種の神器の奉還が行なわれ、それで本当に終わりだ。この平和を礎に、一体この世界がどういった歴史を築いていくのかはわからない。
望美に時空を渡る力を与えてくれていた逆鱗は、既に砕かれて龍脈へと還っている。忘れはしない。けれど、もう頼ることもない。あの悲しい記憶の上にはこの平和があるのだから、それでいい。逆鱗を与えてくれた龍が自分を呼んだ、その責務がようやく果たされた。今、隣にいる白龍がこれほど嬉しそうに笑っているのだ。きっとあの白龍も、この未来を言祝いでくれている。
「神子は何が心配なの? 未来が不安?」
「ううん。それはないよ。だって、こうやって和議に辿り着けたんだもん。きっと、みんなで手を取り合って、平和な未来を作れるって信じてる」
「そうだね。みんな、悲しみが終わることを望んでいた。人は過つものだけれども、正すこともできる」
不安が顔色に表れていたのだろう。案じるように覗き込んできた神に首を振って答えれば、白龍は遠く穏やかな瞳で微笑む。それは、人である望美には決して持ち得ない、未来も過去もすべてを受け入れ、見守る瞳。こういう表情をみせられるたび、望美は白龍が髪であるということを、強く意識する。
だが、白龍はそこで問答を終えはしなかった。
「じゃあ、何が不安?」
重ねて向けられた問いに、望美はほろ苦く笑う。
「さんと知盛が、ちゃんと分かり合えるといいなぁって思って」
下世話なことと一蹴されそうな気もするが、事情を聞き知った全員が揃いも揃って協力を申し出るのだから、野暮なだけではないだろう。特に、知盛との双方を知っている平家側からの協力態勢には目を瞠ったものである。
黒龍の逆鱗が龍脈に還った影響か、それとも年越しの大祓えを経た影響か。怨霊としての狂気をどこかで削ぎ落としたらしい清盛までもがどこかで話を聞きつけ、よりを戻させた後のことも含めてなにやら画策していると聞く。
望美としては、二人がめでたく仲直りをしてくれれば、と考えていただけなのだが、どうやら、聞くだけでもかなりじれったく思えた二人の関係を、平家の面々としてはこれを機に既成概念に押し込めたいらしい。先日、最後の打ち合わせにとこっそり梶原邸をおとなった重衡から話を聞いた敦盛はくすぐったそうに笑い、ヒノエも楽しそうに笑っていた。その過ぎるほどにお人よしな群像が、在りし日の平家の日常なのだろうと、望美は想像する。
せっかく両者の気持ちが互いを向いているのだから、よほどのことがない限り企みはうまくいく気がした。だが同時に、知盛が素直になってくれるのだろうかという懸念が拭いきれない。
何とかすると言っていた将臣からは、何ともならなかったとの報告が届いている。その報告を届けてくれた重衡は、困りきった表情で「兄上は頑固でいらっしゃるから」と溜め息を吐いていた。どうやら、重衡も挑み、そして敗れたらしい。
外野の説得ごときで動くような人間なら、どの時空でもあんなに頑なで誰にも曲げられない生き方などしていなかっただろうから、それはそれで納得のいく話である。あとは、最後の可能性にして最高の切り札に賭けるのみ。
「神子、大丈夫だよ。人の絆は、人だけが結び、断ち切れる。神にも動かすことのできないもののひとつ。天命にも似たるモノ」
にっこりと笑って告げる白龍が偽りを述べないことも、気休めを口にしないことも知っている。だが、だからこそ望美は不安を抱き続ける。絆を絶つことを、だって知盛とは選ぶことができると、白龍はそう言ったのだ。
「私には動かせないけれど、絆は視える。そして神は、その絆を祝すことができる」
不安を裏付けられたようで気が塞ぐ望美に、しかし白龍はあたたかな神託を送る。
「知盛との絆は、稀なる絆。神子と八葉とは違う、でも、決して劣らないもの。あれほどの絆を結べたのだもの。きっとあの二人は過たないよ。私は二人の絆を祝すし、を加護する神も祝している。それ以外の数多の神々も、みんな、あの二人の絆を美しいと祝している」
「……信じれば、いいのかな」
「うん。神子が信じれば、それが力になり、護りになる。だから、信じて祝そう。委ねるべき対を知り、絆を結んだ、稀なる二人を」
惜しげなく与えられる、神なる存在による佳き言葉に励まされ、望美はようやく胸をよぎる不安を振り払って笑った。なすべきこと、なせることはすべてなした。あとは白龍の言うとおり、信じるだけだろう。
「ここまできたんだから、ハッピーエンドじゃないとね」
「うん?」
「みんな幸せにならないとね、って言ったんだよ」
「神子が願うのだもの、叶うよ」
無邪気な神と共に未来を信じて笑いあい、望美は背後から響く足音に振り返る。
Fin.