まといしよろい
和議の儀式に、見届け役として出席したいと言い出したのは確かに望美だった。官位も持たない身分では厳しいかもしれないと言いながら、その願いを叶えるために九郎やヒノエが奔走してくれたのは知っている。ついでに将臣や知盛も口をはさんでくれたのだろうことは、想像に難くない。お蔭で、源氏の神子という肩書きにて、源氏側の末席に連なることを許されたのだが、ついでのように齎された話は予想外だった。いわく、院が主催するその晩の宴席で舞を披露してはくれないか、と。
その時は勢いで頷いてしまった。何より、目の前に予告なく現れた青年の無事な姿が本当に嬉しかったのだ。当人に言っても通じないだろうから極力平静を装ってはいたが、その彼に「お会いしとうございました、十六夜の君」と、とろける笑顔で言われた時にはくらりと眩暈を覚えたものである。
銀のみせてくれた忠臣としての姿勢にもなにやら乙女心を擽られたが、彼はやはり、元からこうして女心を擽ることに長けていたのだろう。
院からの宴席の招きを伝えるのに、源氏と熊野の人間だけではという配慮で同行したらしい重衡は、ついでに先日の夜にヒノエが提案した企みの打ち合わせを兼ねての訪問だった。大義名分にもなった宴席への招待を言葉巧みに、あっという間に望美に了承させて、重衡は子供のようないたずらっぽい笑みを浮かべる。
「事の次第に関しましては、将臣殿よりうかがっております。及ばずながら、お力添えをと思いまして」
「そんなことないです。手伝ってもらえるなら、とっても心強いです」
控えめな申し出にぶんぶんと首を振り、望美は精一杯の感謝の意を示す。
ヒノエの案は実に単純で、要するに知盛とを強制的に二人きりにさせてしまい、話をつけさせればいいというものだった。もっとも、知盛はそんなことを許容しないだろうし、そうでなくとも多忙の身。機会はおそらく、和議の儀式が執り行われるその日に限られる。
「僭越ながら、宴席にて神子様に舞を披露していただいてはと、そう院に進言申し上げたのは私なのです」
「あらかじめ知らせておくんじゃなくて、その場で指名してってな。院と神子との繋がりを知らしめるいい披露目になる。あの院が嫌がるわけもなくて、こうして神子姫様をお誘いすることになったわけだけど」
まったく侮れない兄弟だよね、と。しみじみ状況説明を追加して、ヒノエは溜め息を隠そうともしない。
将臣から策の内容を聞き、ではとその具体案を練ったのは重衡だったらしい。儀式そのものか、あるいは宴席を利用してとのところまでは考えていたものの、具体的にどうすればいいかについては煮詰まっていたのだ。望美にしてみれば事後承諾ではあったが、まあ、指名されて舞を披露するぐらいなら簡単である。
「それで、院に応えて舞を舞ったとなりますと、恐らく次の舞をとさらなるご要望が寄せられましょう。そこで、神子様には兄をご指名いただきたいのです」
「知盛を? でも、そんなことしてもいいんですか?」
「白拍子ならともかく、お前は“源氏の神子”であり“白龍の神子”だからね。官位だのなんだのには縛られないし、院はこのての趣向がお好きだし」
「舞手が次の舞手を指名するのは、宴席にてはよくあることです。お気に病まれずとも大丈夫ですよ」
宮中のしきたりやら貴族との宴席やらに慣れている重衡が言うのだから、間違いはないのだろう。ならばと頷いた望美に、華やかな笑顔で「ありがとうございます」と軽く会釈を送ってから、さらに重衡は説明を続ける。
「折ありまして院と昔語りをいたしました際、過ぎし日に拝見した兄と胡蝶殿の舞がいかに素晴らしかったかをお話しましたところ、機会があればとのことで、胡蝶殿を宴席にお呼びするご許可もいただいております。あとは、よきように計らってくださいましょう」
「知盛を指名すれば、自動的にさんが指名されるっていうことですか?」
「恐らくは。もしご心配でしたら、柳花苑をとご所望くださいませ。そうなれば、番い舞の舞い手を選ばねばなりませんゆえ」
指定された舞の名には、覚えがあった。時空を違えても、彼はあの美しい舞をそつなく舞うのだろう。その相手が自分でないことが少し寂しくはあったが、同時に鑑賞する視点で観てみたいとも思う。ただ向き合うだけでも痛ましいほどにその絆を感じさせる二人が舞う柳花苑は、きっと素晴らしいに違いない。
そのまま宴席での振る舞いについてやその他の細々とした内容を簡単に打ち合わせて、重衡は梶原邸を後にした。さすがに今も一応捕虜の身であると顔をあわせるわけにはいかないとのことで席は設けなかったが、重衡も彼女の身を案じていたのだろう。健康を案じる言葉と、和議が成って帰ってきてくるのを心待ちにしているとの言葉を残す表情は、本当に深い思いやりに溢れていた。
その重衡のそつのなさというか器用さというかを、九郎にも、ぜひともかけらほどでいいから学んでもらいたいと思う。同時に、そんな九郎は九郎じゃないとも思ってしまい、むっつり黙り込んでの膠着状態を、望美は溜め息をつくことで打開する。
正装をしなくてはならないことはわかっている。ただ少し、わがままを言いたい気分だっただけなのだ。
「わかりました。着なきゃいけないってところは妥協します。でも、どうしてこんなに衣装が増えているんですか?」
「それは……」
その気分になる原因こそ、こうして唐突に送りつけられた山のような衣裳の存在である。
和議に出席するためにと九郎が用立ててくれた正装は既に存在するし、宴は同じ日に催されるのだから、そのまま出席すればいい。それが望美の言い分だったのだが、送られた衣裳を無駄にするわけにはいかず、昼と夜とで着替えろと言われたことに納得がいかないのだ。
「これまで戦場で散々苦労をかけたからと、義姉上がせめてもの心づくしにと見立ててくださったんだ」
「政子さんが?」
渋々開かれた九郎の口から飛び出したのは、意外な名前だった。
「既に用意したから、お気遣いは無用ですとは申し上げたんだがな。そこに宴席への招待の話が届いたらしくて、ご自分は宴席用の、いっそう華やかなものを見立てようと張り切られて」
「……断れなかったんですね」
荼吉尼天の存在云々ではなく、九郎はどうにも、あの義姉の奔放で無邪気な性格が苦手であるらしい。翻弄され、あいまいに相槌を打っている様子がありありと思い描かれ、望美はやわらかな苦笑を零してしまう。これから先、こうして微笑ましい義姉弟関係を構築するための、これはもしかしたら第一歩なのかもしれない。これまでどの時空でも見ることのできなかった幸せな困惑が嬉しかったので、仕方がないから望美は、うかがうように見やってくる九郎に「組み合わせとかはわからないから、朔とさんと相談しますね」と笑いかけた。
Fin.