おわりのおわり
もっとも、それ以上の打開策は見当たらない。とにもかくにも、和議を無事に成立させるためには、この件は闇に葬るしかないのだ。
「深く考えすぎんなって。心配しなくても、何も言わねぇよ。こっちには黒龍の逆鱗に加えて、怨霊っていう負い目がある。変に深追いして、薮蛇になるのはゴメンだし」
「……わかりました。御台殿の件に関しては、九郎と景時から鎌倉殿に報告しておいてもらえますか?」
笑いながらも真摯さを忘れない声で将臣が畳み掛けたのをきっかけに、まず頷いたのは弁慶だった。どこか物思いに沈んでいた表情をさっと掻き消し、冷徹な軍師としての声で向後への対策を口にする。
「ついでに、その場には熊野別当が居合わせて、一部始終を見ていたって言っときなよ。将臣達がいたことを明かすにせよ隠すにせよ、オレの存在は結構な釘になると思うぜ」
「そうですね。うまくにおわせれば、鎌倉殿も強気には出られないでしょう」
むしろ、それは熊野が源氏にとってのとんでもない弱みを握ったということを意味する。不敵に笑うヒノエをじっと見やり、そして景時が溜め息混じりに呻く。
「将臣くんと知盛殿のことは伏せられないけど、それでいいかな?」
「逆鱗のことを適当に誤魔化してさえくれれば、だな。そこさえなんとかなればこっちは何とでも言い訳が立つから、気にしなくていいぞ」
「うん、わかった。そこは頑張るから、政子様のことは、」
「わかってる。口外しねぇよ。知盛も、いいだろ?」
てきぱきと段取りをつけた将臣は、黙って聞き役に徹していた、誰よりも沈黙を保ってもらいたい相手に釘を刺す。八葉でもないのに他の誰よりも深い傷を負ったことといい、不満が燻る人間がいるとすれば、それは知盛に他なるまい。だが、同時に知盛が何事においても大局を見誤ることのない視野の持ち主であることを、将臣はよく知っている。
ここで沈黙を誓うことが、彼が人知れずひたすら重ねてきた労苦を水泡と帰させないために必要な要件であることはわかっているだろう。理不尽さを覚えるというのなら、八つ当たりには甘んじるつもりもある。
「ひとつ、条件がある」
全幅の信頼と、理屈だけでは片付かないだろう感情論への対処を考えながら振り返った将臣に、しかし与えられたのは想定外の返答。
「条件?」
「アレのことを、秘せ……。何もかも、一切を、だ。それを約していただけるなら、俺もまた何も見なかったと、誓おう」
ゆるりと持ち上げられた深紫の視線が、そう言いながら将臣を見つめ、景時と九郎に向けられる。
「ちゃんの力のことをなしにして、頼朝様に説明をしろって言うの?」
「神子殿の奇跡の技は、あまりにも有名に過ぎる。その神通力にて退治たとでも言えば、誰も疑うまい?」
確認口調の景時にけろりと言い返し、知盛は瞳孔を絞ってその双眸に物騒な光を浮かべる。
「それが嫌なら、己らの不運を呪うのだな」
つまり、言うことを聞かないのならどこでどう吹聴しようと自分の勝手だと。きっぱりと言い切り、それきり知盛は再び視線を伏せて口を噤んでしまう。
突きつけられた二者択一を前に、困ったように頬をかく景時の背を押したのは、やわらかく声を発した望美だった。
「私は別に、それでいいですよ?」
だからそんなに気を遣ってくれるなと笑いかけ、それから望美は知盛へと振り返る。
「でも、それでいいの?荼吉尼天を倒したのは、さんの力なのに」
「鎌倉殿にとっては、せっかくの力を奪った憎き敵となろう?」
寄る辺によっては、これは功績ではなく過誤にして罪過にさえなりうるのだと薄く嗤い、知盛は望美に相対する。
「それが、捕虜としたはいいものの、首も刎ねず遊ばせておいた敵将の手によるものと……そう知れれば、累が及ぶはいずこまでとなろうか」
「だから、“源氏の神子”である私の手で倒したことにするのが、一番穏便な言い訳だってこと?」
「神子殿は、実に聡明であらせられることだ」
言外にを牢から出した九郎や、それを黙認した景時にも八つ当たりの余波が及びかねないと指摘され、身を強張らせた当人達をちらと流し見てから知盛はくつくつと喉の奥で笑声を転がす。
言葉は確かに望美を讃えるものだったが、どうにも大人が子供をあやしているような感が拭いきれない。喜ぶべきか、馬鹿にするなと憤るべきか。そこまで考え、そしてそんなことを考えていることこそが相手の思う壺のような気がして、望美は小さくむくれてから、とにかく事態の収拾を優先することに決める。
「景時さん、九郎さん。そういうことにしてもらっていいですか?」
「だが、そうなるとお前が兄上の怒りを買う恐れが――」
「表向きには私を責める理由はないですし、それでも難しいようなら、これまでの“源氏の神子”の働きで相殺してもらってください」
気遣わしげな表情で口を開いた九郎ににっこりと笑い返し、望美は大丈夫だと力強く請け負う。
「頼朝さんだって、こんなことがあったって表沙汰になったら困るはずです。それに、平家の人に解決してもらったって言われるより、自分達で解決しましたって言われる方が、納得も諦めもつけやすいと思います」
「……お前は、それでいいのか?」
「さっきさんに助けてもらった分のお返しです」
確かめるように与えられた念押しにさらに笑顔を送り返し、そして目を見合わせて苦笑を交わす源氏の総大将と軍奉行の姿に、望美は自分の要求が通ったことを知る。
「まったく、お前には敵わないな」
「だからこそ、望美ちゃんが“神子”なんだろうねぇ」
それぞれに感想とおぼしき言葉をしみじみと述べてから、二人は揃って「ありがとう」と頭を下げた。
Fin.