朔夜のうさぎは夢を見る

彼らの目指す先

 源氏勢がいったい誰を出してくるのかは想像の域を出ないが、頼朝や政子が出てくるとは考えがたい。となれば、まず手堅くいくとすれば北条家から一名。法皇やら熊野別当やらとの繋ぎを考えて、九郎。その九郎のお目付け役として、また鎌倉への報告役としての景時。もう一、二名、御家人の中からこういった交渉に長けた人間を出してくるぐらいだろう。対抗するのに、不足のある面子だとは思わない。
 平家側から出すのは、将臣に知盛、重衡、そして忠度の四名だ。将臣自身は交渉自体には毛ほどの役にも立たない自覚があるが、還内府の名は重いし、その還内府が直々に出向いているという姿勢を示すことが肝要だと言われ、これは話し合い以前の決定事項であった。また、交渉手腕に長け、さらには貴族からの受けが非常に良いということで重衡。この二名まではすんなりと決まったのだが、問題となったのは残る面子だった。
 少なくとも三名、多くとも五名までというのは、重鎮達の経験則から導き出された人数配分だった。その残りを誰で埋めるかで揉めた結果の知盛の啖呵だったわけだが。
「しかし、まさか俺が入れられるとは」
「あ? 意外だったのか?」
「……何事もなくば、妥当やもしれんが。謹慎を申し付けられても、文句は言えん」
「そうか? だって、お前が言ってたの、全部正論だろ?」
「発言の内容ではなく、無礼を咎められるだろうと、そう思った」
「それこそ本末転倒じゃねぇか。じぃさん達の言ってたことなんか、下手すりゃ不敬罪だぜ」
 からからと笑い、将臣は杯を干す。


 臥待月はまだ夜空に姿をみせない。星明りだけを肴に黙々と瓶子を空けながら、将臣は小さく隣の相手を呼ぶ。
「留守が心配か?」
「いや……。教経殿がおられれば、いかな奇襲をかけられたとて、帝の御身を護ってくださろう。経正殿もおられるし、父上も、帝や母上をお守りする力を惜しんだりはなさるまい」
「じゃあ、なんでそんなに心配そうなんだよ」
「………心配そう?」
 心外だと雄弁に語る声がなぞりなおした音を、将臣がさらにたどる。
「心ここにあらず、とまではいわねぇけど、なんだ? 何か気にしてる感じだぞ」
 じっと、相変わらずぼんやりと夜の庭に視線を投げ出したままの精緻な横顔を見つめながらゆっくりと紡がれた言葉に、ようやく知盛は表情を揺らめかせる。ゆるりと、薄く吊り上がった唇が刷いた笑みは、冷笑。
「気もそぞろになるさ……。自ら言い出したこととはいえ、俺は、この手に一門のすべての命を握ったのだぞ?」
 交渉事に将臣が口を出さないのは決定事項。ならば、いくら重衡という手練と忠度という経験を揃えようとも、最終的な決断はすべて知盛にかかっているのだ。くつくつと喉の奥で笑いを転がし、知盛は杯に映る夜闇を舐める。


 なんとなく声を発することが憚られ、手酌で杯を満たしていた将臣は、その水音の途切れ目に誘われたように、開くつもりのなかった口を開いていた。
「――重いか?」
 深刻というには軽く、適当というには深い声だった。問うてからしまったと首をすくめるものの、知盛は身じろぎさえしない。ひとつ、ふたつとゆったりした瞬きを繰り返し、そして眇めた双眸で夜闇を見据える。
「ああ、重いさ」
 囁くような、呻くような。低く低く潜められた声が絞り出され、瞳孔が引き絞られる。
「この道を選ぶと、そう決めたのは、他ならぬ俺だというのに。……投げ出してしまいたいほどに、今は……重い」
 あまりにも淡々とした、けれどそれは確かに弱音だった。本音でさえ滅多にみせない男が洩らす、脆く崩れてしまいそうな、心の奥底の叫び。自分が遭遇している場面の稀少性を正しく認識し、将臣は音を立てないよう気を配りながら息を呑む。
 だが、知盛がそれ以上の心を吐露することはなかった。はたりともうひとつ瞬きがはさまれ、その横顔は将臣の見慣れた、内面の読めない凪いだ無表情に立ち返る。


 この男が何を見据え、何を憂い、何を求めているのかを理解することを、これほど深く欲したことはかつてないと、将臣はそう思う。部下も、兄弟も、仲間も友もあるというのに、知盛はいつだってひとりだ。その思うところをひとりで抱え込み、誰にも明かさずにひとりで歩いている。
 それが知盛の強さであることは知っているが、それでも、ひとりは哀しいだろうとも思う。そして、出会ってよりこちら、知盛に対してこんな切ない感慨を抱くようになったのがつい最近であることも、思い出す。
「お前だけの重荷じゃねぇよ。俺も、重衡も忠度殿も、他にもたくさん、一緒に背負うやつはいる」
 何とありきたりで、何と陳腐なセリフであることか。どうか届け、どうか響けと念じながら、同時に将臣は模索し、胸中で問いかける。アンタなら、一体こんな時、どんな言葉をかけて、どんな対応をするんだ、と。
「心配してる暇があったら、呑んどけ。京に入ったら、落ち着くまで呑む余裕はねぇぞ」
「それはまた、頭の痛い」
 なんとか捻り出した軽口には、くつりと笑ういつもの表情が返された。ちらと流された視線は、内心の読めない透明な深紫。その底のない光に眩暈を覚えるよりも早く、視界には持ち上げられた瓶子が映る。
「せっかくの兄上のお心遣い。存分に楽しむといたしますか」
「そうだ、呑むぞ!」
 酒を受けるために杯を干しながら、将臣は東の空にようやくのぞいた月を目の端に捉えていた。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。