朔夜のうさぎは夢を見る

やさしきやいば

 見慣れぬ正装は目に新しかったが、同時に深い納得を齎すものでもあった。なるほど、確かに彼は熊野三山を統べる神職の頂に座すもの。年若く、まだ成長の余地を存分に残した体で、しかし衣装に着られることなく堂々と着こなしているその風格は賞賛に値する。
「なるほどね。アンタの出た戦では怨霊が還らないって噂だったけど、これほどの清めの舞を献じられるんなら、それも納得がいくってもんだ」
「そういうものなのか?」
「これだけの力で送られれば、迷って戻ることもないだろうよ」
「……呼び戻す声よりも強く、送る声が聞こえるのだろう。ならば、怨霊と化すこともあるまい」
 訳知り顔のヒノエに九郎が問い返せば、さらなる解説には敦盛が追随する。
「それでも、戻る方はいらっしゃいます。……戻るも、戻らぬも。つまるところ、すべては各々の意志の強さに委ねられているのですから」
 ついと歪められた表情を見逃さず、は静かに言葉を返した。


 それは、戦場にて散る命の去就を見ていて至った真理。意志の強さが生死のはざかいを定め、意志の強さが死後の在り方を定める。人の思いの深さこそが、世の趨勢をも動かす大いなる流れとなる。
「戻ることのないように、と。そう願って鎮めの舞を献じることが正しいとは限りません。わたしは結局、己の欲を道と定め、その道を貫くことしかできません」
「ですが、その舞に熊野の神々が悦を示したのは事実ですよ」
 自嘲の滲む声には、どこまでも穏やかな声が被さる。その声音同様、ひどく穏やかに微笑みながら、弁慶もまた距離を縮めて静かに続ける。
「僕にも視えるほどの気の流れですから、相当ですね。あなたは、類稀なる術師であるというだけではなさそうだ」
「買い被りですよ」
 ひたと、微笑みながらも瞳だけは鋭く、包み隠した内奥を見透かすように双眸を眇めた弁慶に小さく苦笑を送り、はいまだ手をとったままの望美を振り返った。
「戻りましょう。夏とはいえ、夜風は体によくありません」
「うん、そうだね」
 促すように手を引けば、素直に頷いた望みはそのまま手を繋いで足を踏み出す。帰り道はこのままであることを所望されているのだろう。苛烈な一面やら冷徹な一面やら、源氏の神子としての側面を剥ぎ取ってしまえば、こんなにも年齢相応のかわいらしい少女である。どうか、和議へと向かって動き出したこの道が、つつがなく平穏へと続くように。そう切に願いながら、は白く温かな手を握る指にそっと力を篭める。


 そのまま、帰り着いた宿の一室に全員を集め、ヒノエの口から語られたのは今宵の成果だった。知らず緊張に満ちる面々を見渡し、いたずらげに笑う瞳は強い自信に輝いている。
「院におかれては、京を守護する龍神の神子の“神託”を蔑ろにするおつもりはないってさ」
 にぃ、と弧を描く唇から笑声がこぼれ、しかし続けられたのは決定的な一言。
「あんだけ色欲やらに染まっているくせに、信心深さは本物らしいぜ。――京にお戻りになられ次第、院宣が下る」
 あまりにもあっさりと告げられたその言葉に息を呑む音が重なり、そして深い呼吸が積み重なる。次いで滲むのは安堵。院宣は、源平の両家に対して絶対の拘束力を持つ命令。その形さえ整ってしまえば、あとは実務者協議による双方の条件のすり合わせがあるだけで、この戦乱の行く末は決定されたに等しい。
「では、俺達も早急に動かねばな」
「京へは一旦戻らねばなりませんが、その後、九郎と景時にはすぐにも鎌倉に行ってもらわないと」
「院宣が届く前に頼朝様に話をしないとまずいよ。俺はこのまま先に鎌倉に行くから、九郎は京に残ってる兵達に指示を出してから追いついてもらえるかな?」
「……そう、だな。確かにそれは一理ある。なら、俺からも先に報告の書簡をしたためるから、それを届けてもらえるか?」
「うん。きっとそれがいいね」
 あっという間にそれぞれの役職を担う公人としての顔になり、そのまま打ち合わせに突入してしまった九郎達をちらと見やってから、ヒノエは話から弾き出された面々に視点を移す。
「院宣が下ってからは、オレも交渉とかで忙しくなるだろうからね。八葉としての務めには、正直なところ時間が割けないけど」
「それは、我々が補佐するべき領分だろう」
 申し訳なさそうに眉尻を下げたヒノエに、応えたのは寡黙な地の玄武の深い声音だった。


 常の無表情をほんのわずかにやわらげ、リズヴァーンは年長者のみが浮かべられる、穏やかな、何もかもを受け入れる瞳でヒノエを、そして一同を見渡す。
「お前達は、神子の選んだ道のために己の領分をまっとうする。それもまた、八葉としての務め。そして、我々はお前達に任せねばならない役割の代わりに、お前達が担いきれない役割を負う」
「そうですね。先生の言うとおりです。俺達にはそういう政治的な立ち回りはできないんだから、お互い様だ」
 ゆっくりと、諭すように説かれた言葉に頷き、譲もまたヒノエに笑いかける。
「先輩を守るのは俺達に任せて、ヒノエ達はヒノエ達にしかできないことをしてくれればいいさ」
「ああ。互いに互いを補い合うために、きっと我々は“八”葉であるのだろう」
 敦盛もまた深く頷いて言葉を継ぎ足す。その瞳に、いつでもちらついていた深い悲しみの影は見当たらない。何かを振り切った、透明な覚悟がただ誠実に湛えられている。
「だからどうか、この可能性を潰えさせず、和議を成らせてほしい」
 言って頭を下げた敦盛を目を見開いて見やり、それからヒノエは「顔を上げな」と鮮やかに笑う。
「お前にわざわざ頼まれなくたって、オレもこの可能性をツブすつもりはないよ。……神子姫様のことを任せるんだ。その花のかんばせに傷ひとつでもつけたら、承知しないぜ?」
「無論、全力で守ろう」
「………お前のそういう生真面目なところは、嫌いじゃないけど苦手だよ」
 軽やかな声での念押しに律儀に頷いた敦盛に、ヒノエはわざとらしいほどの溜め息をこぼす。いつの間にか話を止めて彼らの遣り取りを見守っていた九郎らと思わず目を見合わせ、その発言内容に照れたのか頬を紅潮させている望美を肴に、一同は朗らかな笑いに包まれていた。。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。