朔夜のうさぎは夢を見る

やさしきやいば

 細かな話がまだ残っているからと、源氏側からは九郎、弁慶、景時の三名を、平家側からは将臣と知盛の二名を、さらにそこにヒノエと熊野の重鎮と思われる男を加えてのより詳細な協議が行われることとなり、望美をはじめとした残る面々は早々に席を立った。すまなそうに笑ったヒノエが代わりにとつけてくれた神職の男は、一行を本宮まで案内してくれた今朝の男である。
「せっかくだからね。退屈な話が終わるまで、色々見て回るといいよ」
 そう勧められたこともあり、当の男が案内を買ってでたこともあり。その外観ゆえにと同道を遠慮したリズヴァーンと、その在り方ゆえにと神域をあまり動き回りたくないと言った敦盛を残し、女性陣三名と譲、白龍の計五名は、俄か参拝客となって本宮を中心に、あちこちの社を案内してもらうこととした。
 さすがに神職なだけあって、男はあらゆる逸話に通じており、そこここで披露される祭神に関する神話は興味深い。そこに加えて譲が訝しまれない程度に現代まで伝わっている逸話を披露してくれるため、一行は飽きることなく次々に社を訪ね歩いていく。
 時間配分まで考慮しての道程だったらしく、日が傾く頃にはきっちり本宮に戻ってきた望美達は、そのまま待ち構えていた別の神職の男に導かれて再び本宮の奥へと招かれる。
「頭領が、皆様を夕餉の席にお招きになっていますので」
 宿泊は別の建物だがと。代表してそう問い返した望美に朗らかに笑い、男はさあさあ、と一行を促す。そうして辿りついた先の広々とした部屋で、望美は単なる夕餉の席と称するにはあまりにも絢爛豪華に過ぎる宴の様相に、くらりと眩暈を覚えたのだった。


 見れば、出歩いていた望美達以外の面々は既に席についている。今さらだと腹を括ってヒノエの厚意に甘えてしまえば、それはそれは至れり尽くせりの宴席が待ち受けていた。
「やあ、姫君達。熊野はどうだい? いいところだろう?」
「ヒノエくん」
 一通り食事が片付き、そのままなし崩しに酒宴へと突入した男性陣の輪からするりと抜け出し、ヒノエは酒の代わりに茶湯を貰っていた女性陣に笑いかける。
「うん。すごく楽しかった」
「そう、ならば良かった。ちなみに、料理は口にあったかい?」
「とってもおいしかったよ」
「こんなにも贅沢なおもてなしをいただいて、申し訳ないわ」
「気にすることはないよ。未来に向けて前進したんだ、派手に前祝いをしないとね」
 満面の笑みを浮かべる望美に朔がほんのわずかに気の引けたような風情を漂わせれば、からりと笑ってヒノエは手にしたままだった杯を軽く掲げてみせる。


 その遣り取りをじっと見ていたは、会話の切れ目を狙って小さく「あの」とようやく声を発した。
「別当殿」
「ヒノエでいいよ」
 暫し迷ってから肩書きで呼びかけるものの、ヒノエはすっぱり否定を返してくる。柔らかな物言いではあったが、さすがに熊野を統べる立場にあるというべきか、有無を言わせぬ強さがある。きょとんと目を見開いてから仄かに苦笑を浮かべ、は「では、ヒノエ殿」と言いなおす。
「それと、望美殿も」
 そして、楽しげにじっと視線を向けてくる望美のことも呼んでから、姿勢を正して深く頭を下げた。
「わたしがこのようなことを申し上げるのは、筋違いなのでしょう。ですが、御礼を申し上げさせてください」
 ありがとうございました、と。声の震えを押し殺しながら紡ぎ、はそっと視界を閉ざす。
「……やめなよ。頭をそんなに軽く下げるべきじゃないよ」
 じっと、暗闇の中で相手の反応を待っていたは、どこか苦味を湛えて降ってきたヒノエの声に促されてゆるりと頭を持ち上げる。
「礼を言うべきはこっちだ。お前の存在そのものが、この和議への布石だったとも言えるんだからね」
「わたしは、何もしていませんけれど」
「ん、いいよ。わかってなくてもね。けど、オレも礼を言いたかっただけってこと」
 意味の取れないヒノエの言葉にがきょとんと首を傾げるも、説明らしき言葉は与えられない。楽しげな様子に水をさす気にもなれず、曖昧に頷いて引き下がったに、今度は望美が笑いかける。
「だったら、私だって何にもしていないよ」
 やわらかく、けれどほろ苦い笑み。
「それに、頑張らなきゃいけないのはこれからだよ。全部が終わってから、みんなでお互いにお礼を言おうよ。それが、きっと一番だから」
 ね、と念を押すように笑いかけられ、は喉元までせりあがってきていた言葉をすべて飲み下し、しかし黙ってもう一度だけ深々と頭を下げる。
 そう、そのとおり。まだ、何も終わっていない。ようやく終わりに向かって、すべてが前向きに動きはじめただけなのだ。


 酒と茶湯という違いはあったが、そのまま互いに軽く杯を掲げあってよりよき未来を願ったヒノエは、中身を干してからふと思い立った風情でへと振り返った。
「せっかくだから、無事くらい知らせてやったら?」
 言って視線が流された先には、一体いつの間に互いの立場に対する折り合いをつけたのか、正体が知れる前と変わらない気さくな調子で九郎と語り合う将臣と、ほとんど口が動いていないように見える敦盛と知盛という二つの組み合わせがある。
「まだ平家に返してやるわけにはいかないけど、そんぐらいなら許されると思うよ」
 言われ、視点を固定したままは小さく眉根を寄せる。確かに、和議が成れば平家に戻してもらえる可能性は十分にある。何より、現在のの形式上の主である九郎が、和議さえ成れば帰るべきところに、という趣旨の発言をしていた。だが、だからといって何の気後れもなくのこのこと顔を出すには気が引けるというのが本心なのだ。

Fin.

next

back to 遥かなる時空の中で index
http://crescent.mistymoon.michikusa.jp/
いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。