朔夜のうさぎは夢を見る

花の宴

 巨椋池のほとりから小舟を出し、島洲のひとつに景時とその補佐役として譲を降ろした一行は、それぞれにつかず離れずの距離で小舟を止める。今宵は満を過ぎての半月。月が昇るにはまだ早く、夜空は星明りに満たされている。
「行くよー」
 のんびりした声が、それでもどこか楽しげに浮き足立って闇に響く。星明りだけで見透かすには、景時の姿は遠い。見えないことはないのだが、今は地面よりも天高くに視線を投げているべきだと事前に言い含められている。
 律儀にも「いいぞー」と返したのは将臣だった。達と同じ小舟に乗り込み、櫂を握るため舟の中ほどに陣取っていた彼は、今は気楽に船べりにもたれかかって空を眺めている。


 闇夜に、光が溢れた。はじめは、鮮やかな紅色。それからカワセミのような翠色が煌めいて、最後は星屑のような生成りに近い白。そして、わずかな間を置いてから、大地を揺るがすような破裂音が響く。
「お、スゲェじゃん」
 からからと将臣が笑う声は実に楽しげで、周辺の小舟からも歓声が上がっている。それに、何より島洲から聞こえる歓声が本当に嬉しそうだった。飛び跳ねているのではなかろうかと思えるほどに弾んだ景時の声と、しきりに褒め称え、感心する譲の声が仲良く入り乱れている。
「景時さーん! もっとないのー?」
「あ、あるよ! ちょっと待ってね」
 光の余韻はすっかり闇に紛れてしまった。再び星明りだけに満たされた空間に愛らしい催促の声が飛べば、得意げに応じる気配を皮切りに、光の饗宴の開幕。


 夜空にひとつ光の花が咲くごとに、ドン、と腹の底に響く音が大気と水面を揺らした。ついでに小舟も揺れるものだから、視界はゆらゆらと揺れ動く。そうして揺らいだ中で見やる幻想的な夜空はいっそう美しいもののように感じられて、は思わず息を詰めて空に見入る。
 仕組みなどわからないが、まさかこの世界でこのような光景を目にすることができるとは思いもしなかった。火薬が世に広く流通するのは、もう少し後世になってからのはずだ。火縄銃が入ってきた頃にはその技術が確立されていたのだから、既に基盤があっても不思議ではないが、このような方面に使用するゆとりはないだろう。
 景時が何やら余興として見せたいものを用意しているという話は、あらかじめ聞いていた。彼は優秀な陰陽師でもあるらしいから、きっとこれはが想像しえない手法で織りなされている光景なのだろうことはわかる。小難しいことをちらちらと考えてはみたが、つまるところ結果が欲しいのだ。
 夏の夜に、大輪の美しい花火。それだけでどこか郷愁に駆られるような、あたたかいような心地になるのは、自分が育んできた感性に植え付けられた原風景なのだろうと思っている。


 花火の何たるかを説明したのは、譲なのだろうか。定番といえば定番の、しかし“花火”という単語からきっとや将臣といった現代人が連想するだろう種類を見事なまでに網羅していることにはただただ感嘆するばかり。
 光が尾を引いて落ちる枝垂れ桜のような一発の余韻の中で、ふと腰をさらう腕の感触。
「知盛殿?」
 そういえば、見てのお楽しみとばかりに事前説明もろくに与えられなかった中で、この男は会場の準備のためにある程度の話を聞いていたらしい。元より肝の据わった性格をしているのだ。夜闇を照らす光の眩さや響く轟音にいちいち驚いたりはしないだろうと勝手に判じて気遣う心を忘れていたが、見慣れぬものには幾ばくかの警戒を抱いたのだろうか。
「次が、上がったぞ」
 だというのに、そっと呼びかけて首を巡らせたの耳元に落とされたのは、空を見なくていいのかというあどけない問いかけ。引き寄せられ、もたれかかる形になった背後の男の心音は、常のそれと全く変わりない。

Fin.

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