朔夜のうさぎは夢を見る

花の散るらむ 〜序〜

 壇ノ浦で沈み、弾けたはずの意識が戻ったのは、すべての神経を焼き切らんとするような灼熱にさらされたからだった。
 外からではなく、内から。焼かれ、引き裂かれ、牽き砕かれるような絶対の苦痛。
「――あぁッ!?」
 渇き、引き攣れた喉を無理に震わせての苦悶の声が漏れる。ままならない指先は、触れた何かあたたかなモノを握りしめる。
 侵入を許してはいけない。これはいけないモノ。
 血管に入り込み、神経を冒されるような錯覚は、全身で感じるおぞましさに塗り潰される。
「う、ぁ……ッ!」
 身を捩り、そのたびに全身に走る激痛に瞼の裏で弾ける白光を幻視する。だが、嫌悪感こそが最前に立つ。
「ほぉ。あくまで抗うか」
 ふと、耳朶を低い声が打った。感心混じりの、愉悦に揺れる声。
「面白い。呑まれることを厭うだけの矜持を持つなぞ、下等な人間にしては上出来ではないか」
 くつくつと嗤う声が降る度に指先が揺れる。なるほど、自分はこの声の主の指を握り締めたのかと、そんな暢気な思考が脳裏で空回っている。
「よかろう。存分に抗え。何、ここまでこの俺の興味を惹きつけたんだ。たとえお前がまがいものになろうと、捨てずにいることは約してやろう」
 言って指が引き抜かれ、いたずらに髪を撫でられる。細く、無骨で、固い指先のどこか優雅な挙措。懐かしくて愛しくて、縋りつきたくなる。記憶と呼ぶにはあまりにも近すぎる、けれどそれは確かに過ぎ去った過去。
「……、――ど……の」
 苦痛を洗い流そうというのか、とめどなく溢れ続ける生理的な涙の向こうに、明らかに感情によって溢れた雫を知る。けれど、呼ぶ声は届かない。髪を撫ぜた指が眦を拭い、涙を掬い上げることは感じていた。その指が、似て非なることを、自分の求めるそれと同一ではありえないことを。哀しいほどに、知っていた。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。