朔夜のうさぎは夢を見る

不器用な恋をしていた

 無官の大夫、平敦盛にとって、宗家の従兄達は基本的にとても遠い存在だった。
 早世してしまった重盛は言うまでもなく、宗盛もまた人格者として知られていた。重衡の華やかな噂と人徳の高さは出仕していない身にも存分に届くほどだったし、徳子は早々に国母として言仁を産み落とした中宮。手の届くはずもない相手ばかりだった。
 何とも華やかで、眩しくて、どうしようもなく遠い人々。その中でも重盛とはまた別の意味で異彩を放っていたのが、知盛だった。
 当人に告げたことなどないが、敦盛はごく一方的に、従兄達の中でも知盛には親近感に似たものを抱いていた。何故と問うのなら、答えは簡潔にして単純。彼と自分との間には、他の従兄との間にはない絶対的な共通項がある。ただ、その共通項を凌駕して在ることができたか、呑まれてしまったかに違いがあったのだろうと、思う。
 そういう意味で、敦盛にとって知盛は従兄達の中でもひときわ遠い存在であった。あるいは、勝手に羨み、妬み、目を逸らしていたのだろうと今ならばわかる。それでも、とにかく遠かった。その事実だけは、不変の過去である。


 けれども、どんなに遠くとも敦盛にとって知盛はどこか親近感を覚える相手であった。勝手に羨み、妬み、そんな感情を抱くのが嫌で目を逸らした。それでもまだあなたは生きているのだからと、身勝手さを混ぜ合わせながらも確かに彼が幸せになってくれることを願っていた。それは純粋な願いでもあっただろうし、己が身の上を重ねた上での押し付けだったのかもしれない。
 どちらかだと言い切ることはできないから、敦盛にとってもその願いがどのような印象を相手に与えていたのかはわからない。そもそも、彼が知っていたか知らなかったかについてさえも、正確なところを確かめる術はとっくに失われてしまった。気づいていないことはなかっただろうとは、思う。何もかもを確かめることができないまま、すべてが終わってしまったというだけ。
 もっと語り合ってみたかったという願いも、勇気を出して歩みよってみればよかったという淡い夢想も、すべては冷たい水の底。自分で選んだとはいえ、最終的に敦盛は知盛とはまったく反対の立ち位置から一門の行く末を見送ることになった。それは結論であり、決断であり、選択の帰結。だから、その過去を覆したいとは思わない。ただ、思い出すことがある。


 夜叉姫の噂をはじめて聞いたのは、幾年か前の冬の夜のことだった。もちろんその前の、彼女が天から降ってきたという噂も耳にはしていた。他人に滅多なことでは興味を示さず、群を抜いた武の才ゆえに滅多なことでは他者の腕を褒めることのない知盛が「美しい太刀筋だった」と周囲に語っていたというのだ。あまりにも珍しい出来事ゆえに、一門ではしばらく当の娘に関する噂が他愛のないものから下世話なものまで、それはそれはあっという間に駆け巡ったものだ。当然のように敦盛もその噂を耳にしていたし、起伏の少ない毎日の中、興味を持たなかったといえば嘘になる。だが、あくまで人づてに噂を聞くだけで、彼女にまつわるすべては終わるはずだったのだ。
 当時、敦盛自身は怨霊としてこの世に既に呼び返されていたものの、己の力を制することさえできず、ひたすらに座敷牢の奥で引き篭もっていた。やはり当時、まだあの噂が流れた折りには還内府という呼称こそあまり浸透してはいなかったものの、既に一門の光として多くのものから仰がれていた将臣の気さくな性分により、牢の外に連れ出されることもあれば、訪ねてもらって語り合うこともあった。
 水島で勝ち、室山で勝ち。都落ちより、どこか淀んだ空気の漂うことの多かった一門に、あの頃は本当に光が射したようだった。兵は勢いに乗り、将は慎重さの奥に自信を漲らせ、酒の席にも明るさが取り戻されていた。兄の経正と共に楽を添えてくれと呼ばれることも増えたし、では一差しと言って重衡もよく舞ってくれた。その席から桜梅少将の姿が損なわれてしまったのは悲しかったが、気分さえ乗ればふらりとやってくる知盛と出会う頻度が上がったのが、実はとても面映ゆかった。


 武の者としての側面が際立てばこそ勘違いされることも多かったようだが、敦盛は知盛が重衡に引けを取らない、風雅を愛でる性分であることを知っていた。同じ一門の血を継ぐとはいえ、敦盛と知盛とではあまりにも立場が違いすぎる。それでもなお互いに面識があったのは、敦盛の笛の腕を噂に聞き、知盛が興味を持ったことがきっかけなのだ。親しく言葉を交わすようなことはほとんどなかったが、初めは委縮してばかりだった敦盛を気遣ってくれたのだろう重衡から、こっそり「兄上は、敦盛殿の笛がたいそうお気に入りなのですよ」と教えてもらった。
 言葉にして褒め称えるようなことはしないが、飽きずに同一人物の演奏を鑑賞することが何よりの証拠。他には滅多とそのような事例はないでしょうと、言われて疑う余地はない。誰よりも知盛に近く、知盛を理解している重衡が言うのだからと兄にも言葉を添えられた。その日から、知盛は敦盛にとってひたすらに遠い存在から、ほんの少し身近な相手になった。
 意識が変われば、それまで耳を通り抜けるばかりだった噂が脳裏に残るようになる。幼い頃から蒲柳の質に悩まされているという噂を今さらのように認識し、それを凌駕して公達として、武人として、他の追随を許さぬほどの栄光を手にしていると聞いた。知れば知るほどに様々な感情に翻弄される敦盛の内情など知ったことではないのだろう。宴席やら何やらにて、耳を傾ける様子は変わらないものであったし、気まぐれのように合わせて舞ってくれる姿は、噂に違わず見事なもの。そういった姿を目にするたび、噂を聞くたび複雑に折り重なっていく内心には関わりなく、知盛は敦盛にとってほんの少し身近で、けれど遠い、不思議な観客であり続けた。
 だから、敦盛は知盛が自分の笛を時に宴席などで所望する場面に居合わせたことはあっても、それはすべて人伝いのこと。面と向かって、しかも死反しの術を嫌悪しているという噂を聞いてより後に怨霊の身である己をわざわざ訪ねてくるなど、想定外もいいところだったのだ。


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Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。