とこしえの先までも
にとって、知盛がどのような名を纏っているかは、関係ないのだ。知盛にとって、がサヤと呼ばれていようがと呼ばれていようが関係ないように。つまり、治療にあたってくれた四番隊隊士である“”も今こうして自分の隣に座ってくれている“知盛”も自分がずっと探していた相手であると、それこそが重要なのであり、それ以外には興味がなかった。ゆえに、思い返せばきちんと思い出せたのだが、その時口にしていた、特に意味を伴わない呼びかけの音になど、関心が及ばなかったのだ。
身勝手だとか視野が狭いとか、向けられうる批判の言葉はいくらでも思いつくことができる。としては己の中で理屈がきちんと成り立っているのだが、他者から見れば支離滅裂でしかないだろう。そうきちんと理解できていればこそ答える声は細く頼りないものになってしまったのだが、しばしの沈黙を挟み、場に溢れたのは日番谷と乱菊のそれぞれの笑声。片やほろ苦く、片ややわらかく。
「なるほど? 似た者同士ってか」
「見せつけてくれるわねぇ」
同時に聞こえるかと思った隣からの呆れの溜息がないことに疑問と少しの勇気を覚えて視線をおずおずと向けてみれば、どこかきょとんとした表情で見下ろしてきていた知盛を目が合う。
何か言いたいのだが、言葉が見つからない。笑うべきなのだろうかと考え、どんな笑みにすべきかがわからなくなる。どうしようもなくて思わずそろりと視点を元に戻せば、一拍を置いて今度は揃いの爆笑が響く。
「あ、あんだけ凄いこと言っといて、そこで照れんのかよっ!?」
「ちょっと、カワイイ!! ほら、だっけ? 見ときなさいよ、レアな反応じゃないの?」
あまりに唐突な反応に毒気を抜かれてもう一度振り返った先からは、大きな掌が容赦なく視界を塞ぎにくる。
「知盛殿?」
「うるさい」
「わたし、何か妙なことを言いました?」
「知らん」
「外してください」
「断る」
ますます楽しげに響く笑声に、一度も見たことのない可愛らしく照れている知盛とやらを見たくて目元を覆う手を外そうとするのだが、手首を両手で動かそうとしてもびくともしない。なんだか除け者にされているようでつい意地になってぐいぐいと力を篭めれば、唐突にひょいと上空に持ち上がってしまい、勢い余って倒れ込んだところを胸元に抱え込まれて、結局視界は塞がれたままだ。
小さく口笛を吹かれ、楽しげにきゃあと歓声が上がる。それに対して知盛がいつもの持って回した言い方で、ようやく何やら反論に出ているのはわかるのだが、言葉が聞き取れない。それよりも、押しつけられた胸板の向こうで、早鐘を打っている心音の方がよほど気にかかる。
「本当に悪かったって。もうからかわねぇから、祝杯を捧げる権利くらい、もらえないか?」
聞こえる心音につられて心拍数が上がってしまい、飽和しかけている耳にようやく明瞭に飛び込んできたのは、日番谷のひどく穏やかな声音。そこで初めて自分の頭を抱え込む腕が外されていたことに気付き、おずおずと体を起こせば優しくやわらかく、自分達を見つめる十番隊の二人と目が合う。
「アンタは、“ベター・ハーフ”を見つけてたんだな」
色味を深めた翡翠の告げた言葉の意味を正しく理解できたのは、きっとだけ。憶えのある言葉に、それまで感じていた照れくささだのなんだのがするりと溶けて、ただ誇らしさだけが残る。
「ええ。そしてこれが結末でしたと、どうか氷輪丸殿にお伝え願えますか?」
「氷輪丸に?」
そのまま引き出された記憶の中の遣り取りを思い出しての依頼には不思議そうな問いを差し返されたが、委細を明かすつもりはない。ふふ、と小さく笑って「詳細はどうぞ、ご当人に」と続け、隣からの溜め息には笑みが深まる。
「……後ほど、詳しく聞かせていただくぞ」
「長くなりますよ?」
「今の我らに、時間の限りなぞないに等しかろう」
その妥協は信頼の証、その猶予は自信の裏返し。のことを信じているのだと。を思う自分と、その自分の思いを汲んでいるのことを信じているのだと。
言ってごく自然に髪を梳き下ろす知盛とそれを受け入れるとを見ていた日番谷と乱菊が目を見合わせ、同じような苦笑を浮かべておもむろに盃を持ち上げる。
「アンタ達の絆と、その奇蹟に出逢えたことに、祝辞と感謝を」
誘うように揺らされる盃と手向けられた言葉に、無論と知盛が応えない道理がない。
「かんぱーいっ!」
応えて掲げた盃の縁が触れ合わされるのにあわせて乱菊が華やかに声を上げ、きらきらとした表情で「さ、冷めないうちに食べましょ!」と得物を箸に持ち替える。
「はここの娘なんでしょ? どれが一押し?」
「好みだとは思いますけれど、お酒がお好きでしたら、こちらの揚げ物をぜひ」
言いながら慣れた調子で給仕めいた行動へと移るのは、身に染みついた習慣だろうから知盛も日番谷も何も言わない。場の空気をあっという間に塗り替える乱菊にある種の称讃の眼差しを二人で向けて、それからいつものように知盛は主に酒器を、日番谷は主に皿と箸を持ってそれぞれのやり方で輪に加わる。
だから忘れたのだというのは言い訳にすぎないと知ったはいたが、けれどはあまりにも馴染み切った場の空気が原因だと主張するのを、後に決して譲りはしなかった。結婚していたのか、と。まさか乱菊の問いかけを日番谷が至極真面目に捉えていたという事実が発覚したのは、後日、改めての元に送り届けられた仰々し祝いの品によって。非常に上品な小物入れやら手ぬぐいやらを揃えたそれらが、それこそまさかその日、知盛が二人で立ち寄った小物屋でいつの間にやら購入して贈ってもらった舞扇に似合いの一式であることに気付いたのは、それから処々の事情を経て婚姻を結んだ後の、知盛自身の指摘と種明かしによってだったのだが。
Fin.
back