朔夜のうさぎは夢を見る

誠意と覚悟と執着と

 主がなにやら変わったことをしでかすのには、何かしらのきっかけが存在する。それは、もしかしたら主の心の中で起きた何かかもしれないし、季節の折々に対する感慨かもしれない。誰かに触発された可能性も否めないし、噂を聞いての反応であることもある。
 そして、娘にはきっかけとは思えないような事象でも、主の中で何やらよくわからない飛躍と変遷を遂げ、立派なきっかけになっていたりする。つまるところ、娘には主の考えなど、さっぱり読めないのが常なのだ。


 よって、不意にひとつの花に固執しはじめた主に気づいても、娘は何を思うこともなかった。何かあったのだろうな、と思い、一応、自分の知る範囲で、わかりやすい符牒がなかったかを考える。けれど結局それは徒労に終わり、何かがあったのだろうな、という曖昧な感想で日常に埋もれる。
 日に日に贈られる花の数が増え、そしてそんな主の姿がどこぞで噂にでもなったのか、邸に届けられる数も増えていった。最初は一目で数えきれるくらいだったものが、今や、数えることを放棄するほどまでに。
「こんなにたくさんいただいてしまって、どうしましょう」
 せっかくの花なのに、活ける場所には限度がある。かといって、このまま萎れさせるのは忍びない。いつの間にやらかしてくれたのか、用向きをすませて戻った自室の文机周辺が花に占領されているのを見て、娘は眉根を寄せる。


 何やら主は、この花を贈ることに思惑をたっぷり篭めているようなのだが、娘にはその真意が掴めない。ここが、かつて娘のあった世界であれば、これらはわかりやすく愛の囁きだった。だが、ここではかつて娘が慣れした親しんだ常識が通用しない。
「桶でも借りてこようかしら」
 誰もいない部屋に踏み込み、腰を落として独り言をぽつり。その声が決して、困惑の一色に塗り潰されていないことなど、さしたる問題ではない。
 真紅の薔薇は、愛を語る。主に、この世界に、求めるべきではないともわかっている。それでも、両手いっぱいの真紅の花束に対する夢見がちな憧れは、確かに満たされたのだ。


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Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。