朔夜のうさぎは夢を見る

夢追い人の見る夢は

 それは、見るものが見れば誰もがあまりの意外さに目を見開く光景だった。真摯なのとも少し違う、しかし曖昧さなど微塵も介在しない殺那に滑り込んできた、ありえない可能性。ゆえに望美は驚愕に捕われて力が緩み、ゆえに知盛は望美の手から神の与えたる刃を弾き飛ばしたのだ。
「望美!?」
「先輩ッ!」
 ここは戦場だ。しかも、とびきり地獄に近い。その中心とも呼べるだろう場所にして相手を前に、武器を失うことが意味するのは敗北を飛び越して命の終焉。
 あまりに苛烈かつ美しく完成された刃の舞踏に割り込む隙を見出せずにいた九郎が慌てて望美を背中に庇い、よろめいて体勢を崩した肩を譲がすかさず支える。だというのに、対する知盛はまるで気にしたふうもなく、じっと何かの気配を探っている。
 やがて、それはさらに唐突に。
「えっ……!?」
 驚愕の声は、誰のものだっただろう。ありえなさの粋とも呼べるだろうその瞬間。望美達一行を通り越していずこかに視線を送っていた知盛は、盛大な舌打ちをこぼすと、困惑を滲ませつつ立ち塞がる九郎を刃ごと押し退けて舳へと足を踏み出したのだ。


 見向きもしないとは、まさにこの時の知盛を示す言葉だろう。場に居合わせる誰よりもこの空間を愉しんでいると目されていた、いかな劣勢に陥ろうが戦闘を投げ出すことに無縁の男が、迷いなど欠片も見せずに戦線に背を向ける。
 その行動に誰かが反応を示すよりも早く到達していた舳から勢いをつけて踏み出し、飛び下りた先は一艘の早舟。いつの間に偽装されていたのか、それとも奪われたのか。源氏の旗印を掲げていたはずの舟が、平家の将を拾ってあっという間に去っていく。
「御大将ッ!」
 何が何だかわからない。まさにその感慨に囚われたまま身動きを忘れてしまっていた一行は、畳み掛けるようにして齎された味方からの伝令に、ようやく敵将の目的地をぼんやりと察する。
「御座船に、還内府の部隊が迫っております! お早くお戻りを――ッ!!」
 どうやってそれを察知したのかはわからない。ただ、あらゆる不条理と矛盾に満ちた戦線離脱に与えられうる根拠は、平家の一将として、最も危険な場に向かう総領の許に馳せ参じるそれ以外に考えようがなかったのだ。
 逡巡を挟み、けれど九郎の決断は果断。
「戻るぞッ!」
 行かねばならぬ。たとえそこで何を知ろうとも。
 たとえそこに、何が待っていようとも。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。