朔夜のうさぎは夢を見る

夢の中へと

 御座船にて、待ちわびるは舞台が整う瞬間。きっと、ここには敵の先鋒こそが駆けつける。あちらの総大将は、こちらの総大将に譲っておいた。
 剣の腕に関してはとんと噂を聞かない相手だ。取り巻きの連中さえ片づければ、少なくとも還内府は一矢を報いるぐらいはしてのけるだろう。本懐ばかりはどうしても遂げられないことなど、とっくにわかりきっていた。
 空が青い。高く、遠く、抜けるような空だった。潮騒に混じる阿鼻叫喚が遠い。ゆらゆらと、波に揺らぐ足元はまるで子供をあやしているかのようで。
「還内府、出て来い!!」
 急速に接近してきたざわめきとうるさいほどの気配が、足音を打ち鳴らして呼ばう声を放つ。ひとつ、ふたつ、みっつ。気配を探るだけで人数を数え、声から相手の素性を察する。どうやら、待っていた時間がやってきたらしい。
「あいにくと。還内府殿は、おられないぜ?」
「お前は、平知盛ッ!」
「おや。俺のことを、ご存じか」
 くつくつと喉の奥を震わせ、まっすぐに敵意を向けてくる笹竜胆を纏う男を流し見る。


 得体のしれない、奇妙な集団だ。女を連れ、ヒトならぬモノを連れ、それでいて怨霊を用いる平家を人道にもとると糾弾する。では、軍場に尼僧を連れ出し、怨霊を連れ出し、鬼を連れ神を連れ神子を連れ。お前達のいったいどこが人道にもとるのかと、皮肉を突きつけたくもなる。
「還内府はどこ!?」
 笑うばかりの知盛に対して凛然と声を放ってきたのは、そしてその奇妙な集団を束ねるたったひとつの大義名分。龍神の神子。還内府には“白龍の神子”と名乗っていた、源氏軍の誇る“源氏の神子”。
 予想は違われなかったなと、おもしろくもない答え合わせは無感動にどこかへ消えていく。
「それに、さんは? 夜叉姫って、さんのことなんでしょう!?」
 ただ、神子は知盛の予想外の言葉をも放ってきたのだ。耳馴染みのない音に小さく疑問を抱き、わかりやすい問いかけの言葉に、知りたくてならなかった真理に思いもかけぬ形で触れたことを、知る。


 もっとも、情動なぞみせてやる義理はない。わざとらしく溜め息をつき、冷めきった双眼を持ち上げる。
「還内府殿に、夜叉姫に……御身らは、俺ごときには、よほど興味がないご様子」
 誰が答えてやるか。何の見返りもなく、どうして自分がお前達のために口を割らねばならない。そんな都合の良さは、お前達の持つ“龍神の神子”と“八葉”という肩書きに目の眩んだものにしか通用しない甘えなのだと、思い知ればいい。
「知りたくば、聞きだせよ」
 その刃に満足したなら、あるいは俺も、口を割るかもしれないぜ?
 薄く嗤って鞘を払えば、あっという間に戦闘態勢をとる。その反射の良さだけは、悪くないと素直に認められる。
「せっかくの血の宴だ。……おおいに、酔い痴れようじゃないか」
 冷めきった心情とは裏腹に、戦闘によって齎される昂りを予感して血が震える。もはや必要以上に力を篭めねば思ったように動かすことも困難だった四肢の先まで、ありえないほどに力が漲る。ああ、これが魂を燃やし尽くすことなのだろうなと、そんなことを、感じる。


 熊野で見知った通り、神子は強かった。噂に名高き源氏の御曹司も、その腹心とされる軍師も強かった。鬼には鬼の、神には神の、怨霊には怨霊の強さがあり、熊野の餓鬼も大きくなっていて。恐らくは“還内府”の実弟だろう青年も、弱くはなかった。
 知盛とて、自分が弱いとは思っていない。むしろ、源平両軍あわせてなお、上から数えてすぐの位置にあることを客観的に認識している。だが、それはヒトとしての強さなのだ。
 金気に恵まれていればこそ、火気による術には文字通り身が灼かれる。太刀を受け、太刀を捌き、矢を叩き落して抗い続ける。
 そう、これは戦っているのではない。抵抗だった。一刻でも、一時でも長く時間を稼がねばならない。かといって無様な終わりしか示せないほどに時間を長引かせるわけにはいかないけれど、ほんの少しでも長く。ここで戦線を長引かせることが、彼らを南へと向かわせない唯一の手段なのだから。
 息が上がる。力が抜ける。血の気が失せる。
 決して光が目に入りこんだためではない眩暈に意識を奪われ、白濁の一瞬に灼熱と火花の炸裂を視た気がした。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。