ぬくもりの気配
それは確かにの真理だった。だが、きっと彼には真意の汲み取れない言葉遊びとしか思えなかったのだろう。つと不機嫌そうに寄せられた眉根とより鋭さを増した眼光が、射抜くようにしてに降り注ぐ。
「御身は、誰ぞ一門の者に所縁がある……そう、申されていたらしいな?」
謡うように、囁くように、ひとり言のように。紡がれたのは平淡な声だったが、それが詰問であることを察せないほどは知盛という存在に疎くなかった。けれど、それでも明かすわけにはいかない一線なのだ。揺らがぬよう、暴かれぬよう、ただそれだけを心に念じて涙に歪みそうになる双眼に力を篭める。
「俺は、お前を知らん。だが、お前は……俺を、知っている」
しかも、過ぎるほどに。
じわりと力の篭められた指先で、呟きに反応して揺らぎそうになった視線が固定される。深紫の瞳が、容赦なくの心をえぐる。
「その太刀筋、その体捌き。そして、俺の背に回り込んで立ちまわる、その振る舞い」
そう、そうだその通り。知らぬはずがないではないか。だって、自分はあなたの背に立つためにこそ太刀の振るい方を学び、体を鍛え、必死になってあなたの後ろを追いかけていた。そのあなたが善い敵となれと言い、それこそがあなたの渇仰に応える最良の道だと判じたから、敵陣にて先鋒を切り続けた。あなたに捧ぐために、あなたに魅せるために、わたしはわたしを磨き続けた。だからこそあなたは最期のあの舟の上で、わたしのことを「美しくなった」と言ってくれた。
そのすべてが、わたしにとっては何にも代えがたい誇りの礎。
告げるわけにはいかない、告げることの許されない、告げるつもりもない思いが渦巻く感慨の奥底で、そしては歯噛みしながら申し訳なさに苛まされる。ああ、これは“彼”が最も嫌う行為。その深奥ではなく、彼自身ではなく、彼を通じて彼ではない何かを見つめるという、彼への侮辱。
「だというのに、お前は俺を見ようとはせぬ」
声に滲む物騒な気配は、明確な苛立ちを余さず伝えてくる。知っている。覚えている。かつてあの人は、自分を見ろと言っての抱える郷愁と渇仰と矛盾とを暴きたてた。自分を通して遠い場所など見るなと、そう言ってに現実を見据えて生きることを改めて教えてくれた。似て非なる色を湛えて、知盛はあまりにも懐かしく残酷な言葉を紡ぎあげる。
「悼み、懐かしむことで恋う目でなぞ見るな」
情景が重なる。美しき冬晴れの空を背に立つ鎧姿が、月夜を背に立ついつかの単衣の姿に。美しさのすべてが変わらない、根源の全く揺らがない姿に、夢と現のはざかいがわからなくなる。
これは誰だろう。この人は誰で、自分はどこで何をしている。決して忘れることのないと思ったあの舟の上でのあまりに壮絶な抒情詩は、はたして現実だったのか。それとも、こうして向き合う自分達こそが現実で、あれはあまりに残酷な夢だったのか。わからない、わからない。
「――俺は、ここにいる」
息を飲んだのは、いかな情動ゆえか。目を反らすことのできないまま、はひたすらに思いを殺す。
そして至ったのはやはりにとっての真理だった。夢でも現でもかまわない。それはさして重要なことではない。ただ、知る。この彼もあの彼も、結局のところ根源は同じ。同じ苦しみに苛まされて、同じ葛藤の只中でもがいているのだと。
けれど、それでも指を差し伸べるわけにはいかなかった。同じだけれど、違う。だって、違うのだとわかっている。何がと問われても困るけれど、彼は“彼”ではない。だから、“彼”を思うことしかできない自分は、彼に対して「鞘になる」と告げることはできない。
「返そうとも返しきれぬご恩を、受けました。けれど、わたしにはそれを返す術がありませんでした」
あるいは返したことになるのかもしれない。結果論と言われてしまえばそれまでだが、は確かに彼の渇仰に応えた。彼の願いに応え、彼との約束を果たした。しかし、それはあまりにも哀しい結末だった。だって、そこに辿り着いたのは、つまりはが彼を望まぬ目覚めへといざなったことがきっかけのひとつだったのだから。
「ゆえにわたしはここに在ります。一門のために、ただひたすらに軍場を駆け抜ける刃であり続けます」
紡ぐのは、きっと彼が求めている答えではない。だが、これが精一杯なのだ。
「どうぞ、わたしのことはその程度のものとお見知りおきください。自らの意思で動く、なれど一門のどなたに対しても切っ先を向けぬ刃であると、ただそのように」
こうして返すことが、相対することが、にとっては精一杯の妥協。これ以上踏み込んでしまえば、もはや自分は引き返せない狂気の淵に身を躍らせるのだと直感している。
Fin.
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