譲れない願い
源平両家からの助力の要請に対する熊野の返答は、否であった。平和を湛えるこの国の民を戦乱に巻き込むつもりはないと、凛と宣したその強さに、は静かな賞賛を覚える。けれど、それと直面する現実への憂慮とはまったくの別問題。三草山でも熊野の去就でもの知るそれとは異なる道を歩んでいたというのに、平家が辿る凋落の道ばかりは向かう先を変えることがなかった。
院を通じた和議の勧告があり、疑いながらも一縷の希望をかけた将臣のことを、誰が責められよう。それによって福原を追い落とされることになろうとも、三位の中将が害われることになろうとも。
一門が福原から屋島へと退き、それをみて源氏の絶対優位でも感じたのか、旗色を中立から白色へと翻した熊野に還内府は更なる西方への撤退を指示した。誰が渋い顔をしようとも、誇りを叫ぼうとも、守るべきものがあるだろうと説かれてはそれ以上の強気な発言は出てこない。つまるところ誰もが、一門の精神を支える老いてなお美しく凛とある尼君と、幼いながらも気丈に振る舞う京を追われた帝の身を案じることを、忘れられなかった。
西へ、西へ。足元を支えてくれるはずの豪族達でさえ、時流を見計らって旗色を変えようとしている。その中でも確実と言い切れる味方を頼りながら、やがて辿りついたのは厳島。神域ゆえにと、必要時以外は神職や巫女でさえ上陸を慎む島をこそ拠点と定め、兵達を鼓舞して還内府は少しでも優しい終焉を模索している。
熊野での夏を越えてよりこちら、空気が乾燥するにつれて悪化の一途をみせる知盛の病状に、は薬師として「快癒の見込みはない」との判断を下した。器用に、あるいはそれは矜持なのか意地なのか、知盛は実母にさえ己が身の内に巣食う病魔を気取らせていない。人目が少しでもあればあくまで飄々と振る舞い、人知れず臥せっては真っ青になって眠り続ける。そのすべてを誰よりも近くで見詰めながら対症療法を施し、心の中に占める彼という存在の重みが増していくことに、絶望を深めて恐怖する。
何が夢で、何が現実なのだろう。何をもって真となし、何をもって偽と判ずるのだろう。
あの熊野で、神子はの名を呼んだ。この世界においては誰も知るはずのない名を、だ。それは、神子にとって“前回”があるという意味だろう。その上で今のの立ち位置を言及していたが、当惑を覚えたあの時とは違い、今のには反発する思いと不快感がある。くしくも彼女がその“前回”にに問うていたではないか。確かに存在した過去を、かくも簡単に振り払えるのか、と。
ならば逆に、今こそ問いかけたい。あなたにとって“今回”が“前回”の上に塗りつぶしていけるほどのものである根拠とは何であるのか。そも、”前回”と”今回”の違いはあるのかないのか。自分がこうして“彼”と彼の狭間で夢と現の境界を見失うように、心の置き所に惑うことはないのか。ないというのなら、いや、あったとしてもこうして自分のように狂気に蝕まれずに在るというのなら、どのようにして振り切って進んでいるのか。
彼女が振り切った“前回”において彼女に関わったすべての人々は、いったい彼女の中でどのように整頓されているのだろう。知ってみたいと思い、わかりたくもないと思った。
苦しくて仕方がない。このままでは誰にとっても生産性など齎さず、負の遺産でしかないとわかっている。過ぎ去った日々を忘れず、思いを馳せることは決して悪ではない。ただ、拘泥されることもまた、正しいはずがない。すべてをわかって、嫌と言うほどわかった上で、溺れて沈むばかりの自分を愚かだと思い、簡単には振り払えないほどの思いを抱けた自分を、幸福だと思い知った。
これほどの思いを抱くような、そんな密度の高い時間を自分は重ねられたのだ。自身の命さえ実感できず、ただ漫然と呼吸を繰り返す自分が怖かった。死は遠く、死にたかったわけではないのに死に怯え、生きていることがわからなかった。己が生きていることを実感したくて死地を求めている知盛に眉を顰めながら、その矛盾に満ちた渇仰には共感を覚えていた。
あの“彼”のいた世界でも、この世界でも、は己の餓えを満たすものを模索しながら、罪科さえ飲み下して生き抜くことを希求し、生きていることに感謝している。それがの至った、生きる世界を違えようとも穢されない真理であるのだと、崩壊する理性と底知れぬ狂気こそが証しているというのに。
戦う術のない女子供をせめえてはなんとか逃さんと画策する還内府の意を受け、具体的に軍事の一切を取り仕切っているのは知盛だった。守られ、逃されるべきと判じられた面々とその彼らを守るための人員は、さらに西に下った彦島に。こうして厳島に残っている達の使命は、追ってくる源氏勢をなんとしても喰い止めること。彼らを追うかもしれない脅威の可能性を排除すること。彼らが無事に逃れるまで、彼らの存在にさえ敵の目を向けさせないこと。
そして適うなら狂気の華に彩られたこの世の地獄を敵兵の血潮にて演出し、平家の名を後世に正しく、美しく、誇り高く残せるよう、矜持を体現する終焉をこそ魅せつけること。
かつてが従軍したように、この世界においても範頼を総大将とした大軍が西国平定に奔走しているらしい。だが、熊野が味方についたかつてと違い、今回はかなりの苦戦を強いられているとも聞く。今ならばきっと、九州の豪族なり水軍なりの手を借りて、大切な人々を戦火の届かぬ地へと送り届けることが適おう。それは確信であり、確定した未来だとさえ思えた。
だって、時に政務の只中であっても真っ青になって咳き込みながら、その手腕に衰えはみられない。けれど、策を巡らせ、必要な伏線を整え、そして徐々にやつれていく面影が一門の辿る道を象徴するようで。その凄絶なまでに美しい横顔に、幾百年もの時を越えて歌い継がれる美しき文言を思い描く。もはや自分が誰のことをこそ想い、誰のためにこそ思いに躊躇いと罪悪感を抱いているのかさえ定かではなくなった。“彼”か、彼か。最後に思いが向かう先によって自分は崩壊するのだろうと予感していたのに、どちらを思っているのかがわからないという終末こそがぽっかりと口を開けて待っていたのだ。
熊野を越え、生田を越え、常に戦乱では知盛と共に在り続けた。胸の内に秘めているすべてをいずれは暴き、知り、凌駕するのだと言っていた知盛は、けれどそのどんな局面にあっても、あの室山以上にの精神の最後の均衡を突き崩すようなことはしなかった。気づけば視線を投げ、意識を割き、夢と現の狭間に溺れながらもはや引き止めようもなく崩れていく姿を、ごく静かに見つめているようだった。
彼の願いは、あるいは確かに叶えられただろう。こうして自身の思いの主軸がわからなくなったということは、少なくとも彼の存在が“彼”の重みに並んだということ。それはすなわち、彼の存在がの頑なさを凌駕したということ。自分はここにいると言い、その現実をに刻み込んだ。逃れようのない現実と己の心に折り合いをつけられずに自分はこうして崩れてしまったけれど、そのすべてを見ていたというのなら、それはが秘めたいと願っていた真情を暴き、見知ったということだ。
Fin.
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