朔夜のうさぎは夢を見る

切ない優しさ

 あっという間に風雅なことの好きな院に対する共通認識に全員が至ったところで、けれど将臣は苦りきった表情になるばかり。
「けどなぁ。院が熊野で遊べるところって、どこだ?」
 あまりにもらしい遣り取りに懐かしさと切なさと微笑ましさを覚えてうっかり傍観していたは、その嘆きにも似た声を無理からぬことだろうと得心する。彼は本当によく努力している。さもなくば、いくら周囲がお膳立てをしようとも、支えようとも、武家である平家一門の総領が務まるはずがない。けれど同時に、彼らは貴族としての側面においても高みを極めた一門。当たり前のようにして身につけている貴族達の常識までを俄仕込みで徹底させるのは、あまりにも無謀というものだろう。
 困り果てた声音は微笑ましく、うっかり助力を申し出たくなる空気を纏っている。これもまた彼の才能の一端なのだろうと思いながら、が探るのは知盛の気配。将臣のことは助けたいと思う。だが、それ以上には知盛の意をこそ尊重したいと考えてしまう。


 真意の読めない薄い微笑は微塵も動かなかった。この程度の間接的な要請では、動くに値せずと判じたのだろう。だが、ここには将臣以外にもう一人、怨霊を封じるために奔走していた存在がいる。
「知盛は、そういうことに詳しいんじゃないの?」
「さて……詳しいか否かは、わからんが」
「でも、法皇様の行動パターンを読めちゃうぐらいには詳しいんだよね」
 いきなり核心に触れる問いかけを放り投げてきた望美の言葉は、疑問符を伴いながらもまったく疑いの余地を残していない。彼女の口調は、知盛がそういった類の知識と経験に長けていることを『知って』いる。そして、曖昧に答えた言葉にはまったく頓着せずに次なる要求を突きつけてきた。
「だったら、怨霊を探すのに付き合ってくれないかな?」
 要請の形式を纏った、それは命じるにも似た音調。変に下手に出られるよりもこうして強気に向かってこられた方が知盛の好奇心をくすぐるのだと、わかっていればこその不適な表情と、肯定を確信した勝気な瞳。そして案の定、面白そうにくるりと瞳をきらめかせ、知盛は「神子殿の、ご命令とあらば」と嘯いて恭しく頭を下げてみせた。


 明日また訪れるからと言い残し、乾いた衣に着替えて望美はそのまま宿を後にした。送っていこうと申し出た将臣は、出て行く寸前、ちらと鋭い視線を流して知盛に「そこでおとなしく待っていろ」と無言で命じる。ぴりぴりと張り詰めた視線を実に心地よさげに受け止めて、確かにおとなしく、知盛は将臣が帰ってくるまで脇息にもたれてうたた寝をしていた。
「どういうつもりだよ」
「どういう、とは?」
「だから、さっきの! お前が自分から護衛をつけるって言い出すほどには、俺達は危うい立場なんだぞ!!」
 その自分達に幼馴染を巻き込むことを詰る言葉に、けれど知盛はいっそ麗しいほどの冷笑を返す。
「どうせ、神子殿とて似たようなもの……この世ならざるものどもを相手取るのと、大差あるまい」
「けどッ!!」
「くどいぞ、有川」
 食い下がる将臣の言葉をばっさりと切り捨て、知盛は視線に滲む不穏な光を強める。
「なれば、なぜここに連れてきた? 巻き込みたくないのなら、我らに関わらせねば、それでよかったはずだろう?」
 ぐっと言葉に詰まった様子を冷ややかに眺め、一瞬だけちらと憐憫の色を宿した知盛は、それを当人に悟らせぬうちに吐息にすべてを溶かし、捨てる。
「請けたからには、働くさ……。氾濫の納まるのをただ待つのにも、厭いたからな」
 そうして先に進むことで、きっと知盛は将臣を望美達から引き剥がすつもりなのだろう。凹凸のない声音の奥に潜む仄かな、けれど確かな慈愛の気配を見つけて、はそっと手指に力を篭める。


 あの“彼”も相当に不器用な人だったけれど、彼の不器用さはその遥か上空をいく。慈しんでいるなら、そうと示せばいいのに。
 あくまで冷たく突き放すのは、では、何のためだろう。ゆるりと広がる際限のない思考が行き着いたのは、そしていつかの蒼い空。あの空の下で蒼焔に溶けたあの人は、残された人々のことを案じていた。最後まで付き合うと、そういって聞かぬ馬鹿ばかり。切なげに、愛しげに、そう評していた相手の中には、きっと年下の義兄も含まれていたのだろう。
 知らないから、察することしかできない。わからないから、推測することしかできない。でも、ただそうあってほしいと願うよりは強く確信を抱いている。確信を抱くほどには、彼の押し殺す感情の細かな揺らぎを読み取るだけの時間を過ごしたのだと、断言できる。
 ああ、この人は諦めたのだ。死者と生者の行き交う国にて“黄泉より還りし小松内府”を“有川将臣”に還す可能性を。彼を逃す最後にして最大の好機を振り払った愛すべき愚かさに、だから次なる恩愛を示している。
 傍にいれば揺らぎ、絆され、心が惑う。それは、この先において彼を支えはしない。ただ、どうしようもない葛藤と苦悶を齎すだけだ。きっとそれを見透かして、ゆえに知盛は将臣を引き剥がそうとしている。そうすることで守ろうとしている、不器用で報われない、あまりにも切ない優しさがそこにはあった。
 その優しさがあまりにもあの“彼”と同じであることに、そしては再び己の内側で何かが静かに崩壊していく音を聞いている。

Fin.

back

back to そしていつしか夢の中 index

http://mugetsunoyo.yomibitoshirazu.jp/
いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。